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2009年

1月| とあるバイオ系修士課程大学院生の就職活動体験談

  バイオ系の修士課程1年生として就職活動を経験し、最終的にIT企業への内定を得た筆者の体験談を紹介したい。現在、就活中の方の参考になれば幸いである。

 就職活動をはじめたのは修士課程1年の秋ごろ、企業の採用ページがオープンする時期であった。筆者は大学で食品関連の研究をしており、食品企業でそれを活かして人々の健康に貢献したいと夢みていた。しかし、食品企業の研究職といえば、製薬企業に次いで人気の高い職種。字際に夢をつかみとれるのはほんの一握りの人だけである。連日、エントリーシートを書くが選考で落とされることを繰り返すうち、なぜそこまでして食品企業に行きたいのかわからなくなり、自信を喪失してしまうこともあった。
 幸い、筆者には話を聞いてくれる先輩や友人がいたので、よく相談し、アドバイスをもらうことができた。また、リクルートエージェントの就職サービスなどを積極的に利用して面談などの機会を得ながら、自分がなにをいちばんやりたいのかを真剣に考えるようにもなった。自分の考えを人に話したり相手の意見を聞いたりすることは、自己分析を進めるうえでも役に立つし、コミュニケーションの訓練にもなるため面接にも活かせたと感じている。その結果、筆者は社会に役立つ仕事をすることにやりがいを感じるということがみえてきた。そして、それを実現する手段は必ずしも研究職でなくてもよいことに気づき、なにをめざすべきかわからないでいた。

 そんななか、就職サービスの面談で紹介されたのがIT系の企業であった。ITというと、バイオの研究とは無縁の世界と感じられるかもしれないが、バイオ系の出身でIT系をめざす人は意外に多い(それは、バイオ系の就職がいかにきびしいかを反映しているのかもしれない)。紹介された当初は研究の経験が活かせない分野なので興味も薄かったのだが、IT技術というものはわれわれの生活のさまざまなところで役に立っており、応用の幅が広いところに魅力を感じはじめた。また、IT系は募集分野を指定していないことが多く、さまざまな分野に対応していくために多様なバックグラウンドをもつ人を求めることがあったり、研究生活をとおして得られた(単なる知識の蓄積でない)経験を重視したいという企業の思惑もあったりするようだ。企業によっては製薬企業や食品企業とやりとりをすることもあり、そのときは生命科学を学んできた経験を活かすことができる。これまで勉強してきたことは決してむだではないし、IT技術を勉強することで逆に自分の活躍の幅が広がるとも感じられた。
 そののち、筆者は徐々にIT系の企業を多く受けるようになり、とある企業から内定を得ることができた。自分のやりたいことを実現するために、これからも新しいことを勉強していきたいと考えている。

 筆者は合計で30社ほどの会社を受けた。これは就職活動をしている人のなかでは決して多い数ではないが、ピーク時にはほぼ毎日、スーツを着て出かけていた。そのため、日中は面接、夜は研究室に戻って終電まで実験…、という日々が続き、さらに、研究室のゼミの予定なども入り乱れて、その両立には非常に苦労した。筆者のように、就職活動と研究生活の両立で苦労する人は多い。完璧にこなすことは不可能であるから、やるべきことに優先順位をつけて、限られた時間のなかで最大限の努力をする、というスタンスが大切だと思う(もちろん、これは就職活動に限ったことではない)。修士課程は2年間と、とにかく短い。自分の裁量と相談して、ときには誰かに助けてもらいながら、この難関を乗り越えてほしい。
 バイオ系の大学院生のほとんどが製薬企業または食品企業の研究職を希望している。しかし、周囲に流されるのではなく、もっと広く世界を見て、本当に自分のやりたいことをしっかいりと考えたうえで決めてほしい。いちどきりの就職活動である。そのときどきの出会いを大切にしながら、自分を信じてがんばってほしい。

九石裕美子
(東京大学大学院農学生命科学研究科)


2月| バイオ系の博士課程大学院生の就職活動

  近年、バイオ系博士課程を修了した大学院生の民間企業の研究職への就職はたいへん厳しい状況にある。医・歯・獣医系を除いたバイオ系博士課程修了者は、毎年、約2200人も誕生しており1)、そのうち約4割が民間の企業や法人への就職を希望している2)。しかし、2009年博士課程修了予定(一部、2008年修了を含む)の大学院生のうち、医薬品、食品、化粧品などの分野の上場企業から内定を得ているのは155名でしかない3)。つまり、新卒のバイオ系博士課程修了者が大手民間企業の研究職に就職できる割合は2割にも満たないのである。さらに、実際には、選考において企業と教授とのコネクションが有利になる場合もあり、そのようなコネクションがない場合にはより厳しい競争をくぐり抜けなければならない。大手民間企業の研究職に就けなかった場合は未上場企業(ベンチャー企業や外資系など)をめざすことになるが、これらの枠も非常に少なく、バイオ系博士課程の大学院生にはきびしい現実が待っている。

 企業が実際に採用したいのはどのような人物なのだろうか?筆者が複数の企業の説明会で聞いたところによると、企業が求めるのは”即戦力”だという。ただし、それは必ずしも”専門性”だけを求めているのではない。たとえば、製薬企業の研究開発においては、薬学部の薬理学系の研究室の出身者なら即戦力といえるかもしれない。しかし、他分野の人でも製薬企業に就職する例はたくさんある。また、複数の組織が行っている企業向けのアンケート調査では、企業が博士課程修了者にもとめる資質として、コミュニケーション能力、マーケティング能力、マネジメント能力、が上位にあがっており、必ずしも専門性をもとめていないことがわかる4-6)。

 では、即戦力といえる博士課程修了者はどのような人物なのだろうか?それは、大学と企業との違いを良く理解し、企業でうまく力を発揮できるような人のことである。企業は営利活動であり、大学とは違う規律や制約が存在し、チームプレーが強く求められる。これらに順応して力を発揮できなければ即戦力とはいえない。そのためには、企業のニーズにあった新しい発想を生み出すマーケティング能力や、異なる環境に適応できる柔軟性、コミュニケーション能力などが必要なのである。

 実は、博士課程修了者は研究を進める過程で、すでにこれらの能力を磨いているはずだ。自らテーマを探し、自ら研究をマネジメントするからだ。また、必要に応じて協同研究を企画し、さらに、成果をだすことを求められる。これをビジネスシーンに置き換えると、プロジェクトを一任された若手の幹部候補のようなものであり、新卒の新入社員には決して任されないような非常に高度な仕事を含んでいる。このような経験をとおして、博士課程修了者は企業が求める能力をすでに鍛えているはずなのである。

 しかしながら、企業がもとめるレベルでこれらの能力を兼ね備えた魅力的な博士課程修了者は、非常に少ないのも現実である。今後の博士課程修了者数と大学・企業などの求人数の比率から、バイオ系博士課程修了者の大多数が安定した就職先を見つけられない。いわゆる、高学歴ワーキングプアになってしまう可能性もある。このような現実を見据え、自らのキャリアをどのように形成していくのかが、今後、バイオ系博士課程の大学院生に問われるところである。

【参考文献】
1) 文部科学省 学校基本調査報告書(平成20年度)
2) 科学技術政策研究所 これからの人材育成と研究の活性化のためのアンケート調査結果
3) 2010年度版 就職四季報
4) マイコミ採用サポネット 2009年卒者人材ニーズ調査(理工系)結果報告
5) 早稲田大学 研究開発職における博士学位取得者の採用とキャリアパスに関する調査
6) 文部科学省 民間企業の研究活動に関する調査報告(平成18年度)

矢口邦雄(東京大学大学院農学生命科学研究科)


3月| 修士課程で就職するか?それとも、博士課程に進学するか?

 生化学若い研究者の会キュベット委員会は、昨年11月23日東京国際交流館で開催された”サイエンスアゴラ2008″において、シンポジウム”院生必見!理工系・バイオ系の研究キャリアガイド”を開催した。このシンポジウムは、修士課程の大学院生に自らの進路を考えてもらうことを狙ったもので、博士課程修了者の就職の可能性について統計的な分析、1970年代のオーバードクター問題から現代のポスドク問題への変遷、政策やキャリアサポートの問題点、などが議論された。また、元バイオ系のポスドクによる企業への転進の体験談についての講演も行われた。
 文部科学省の学校基本調査によれば、バイオ系の博士課程修了者は年間2000人を超えている(医学・歯学・獣医学を含めると、約6000人)。しかし、就職四季報(東洋経済新報社)によると、ここ数年、上場企業における新卒のバイオ系博士課程修了者の内定数は100~150人でしかない(主として、医薬・食品・化粧品)。実際には、これらの枠には、年間350人程度いる薬学系の博士課程修了者や、企業を志望する医学・歯学・獣医学系の修了者が有利であることが考えられるので、そのほかの分野のバイオ系博士課程修了者の大多数は、残念ながら、確実に就職にあぶれる計算となる。
 なぜ、博士課程修了者がこんなにも過剰となってしまったのだろうか。榎木英介氏(サイコムジャパン)は、”1970年代のオーバードクター問題がまさに再現されており、現場(大学関係者)も政府(文部科学省)も、過去の教訓をまったく活かしてこなかった”と指摘した。また、橋本昌隆氏(フューチャーラボラトリ)は、中央省庁でのヒヤリングをもとに、”文部科学省が既得権(財務省からの予算配分)を維持するため、少子化であっても学生数を減らすわけにはいかないという理由から大学院の定員が異常に増やされてきた”という背景を述べていた。
 政策的な問題をどのように決着させるのか、または、させるべきなのかについては、ここでは議論していない。大学院生や任期制のポスドクには、目前に迫った就職活動のほうが重大だからだ。では、彼らは就職についてどのような印象をもっているのだろうか。本シンポジウムで行ったアンケートの結果(バイオ系の学部生からポスドクまで、回答者19名のデータ)の速報を紹介する。
 将来、アカデミックポストに残れる割合を聞いたところ、ほとんどが20%程度と答えている。厳しさを実感している人は多いようだ。対して、企業への就職活動をしている割合(印象も含む)を聞くと約40%で、ポスドクとしてアカデミックを目指す割合のほうが多いようである。このことから、ある程度の覚悟を決めてポスドクをつづけるという人も多いことがうかがえる。
 就職活動の成否についてはどうだろうか。企業への就職活動のうち、内定をとれる可能性を聞いたところ、約70%とかなり高かった。ただし、研究で学んだ専門を活かせる仕事に就ける可能性を聞くと30%程度しかなく、就職は可能ではあるが専門は活かせないと考える人が多いようだ。また、就職の際に教授などのコネがどのくらい重要かを聞いたところ、20%程度と答える人と80%と答える人の二つの集団に回答がわかれた。このことから、日常的に”コネ採用”の現場を目の当たりにする人と、まったくそういう現場を見たことがない人に分かれていることが推察される。
 就職活動に成功する秘訣はあるのか。就職に成功する博士課程修了者がもつ能力を聞いたところ、第1位にコミュニケーション能力をあげる人が多かった。そして、一般的に博士課程修了者に足りない能力を聞いた場合も、同様にコミュニケーション能力であった。このことから、コミュニケーション能力は就職に必要であることは自覚するものの、博士課程修了者が苦手意識をもっている能力でもあるようだ。
 学生の多くは、バイオ系博士の進路が厳しいことを知っている。しかし、そのきびしさをどれほど実感できているのだろうか。自ら弱点を自覚できる博士課程の大学院生なら、それを克服できる場所を自ら探すこともできるはずだ。また、修士課程の学生には、これらの状況を十分に考慮して進路を決定してほしい。

片木りゅうじ(キュベット委員会)・
矢口邦雄(東京大学大学院農学生命科学研究科)


4月| 生化学若い研究者の会創立50周年記念行事を振り返って

 生化学若い研究者の会(生化若手)は、2008年で創立50周年をむかえた。これを記念して、BMB2008(第31回日本分子生物学年学会・第81回日本生化学学会合同大会、2008年12月9~12日、神戸)において、シンポジウムと祝賀会が開催された。

 12月10日の夕刻、神戸国際会議場にて、生化若手のOB・OGである5名の基調講演からなるシンポジウム”生化若手と生命科学”が開催され、130名もの聴講者が集まった。まず、世話人である筆者が生化若手の概要を話したのち、大島泰郎博士(東工大名誉教授)が生化若手の設立当時について話された。生化若手は1958年に創立され、1960年に一泊のミニサマースクールを実施したのち、1961年7月に第1回夏の学校が群馬県赤城山の大沼湖畔で開催された。前橋駅前で案内をするスタッフのようすや講義の風景などがモノクロ写真で紹介され、当時のようすが垣間見えた。今回の日本生化学会の会頭を務められた大隈良典博士(基生研)は、修士1年(第7回)から博士3年(第11回)までのあいだ、夏の学校に参加された時のようすを語られた。当時は分子生物学の興隆期で、貧しかったが夢のある時代であり、最も参加者が多かったという。瀬原敦子博士(京大再生研)は、夏の学校や京都支部の集合写真を紹介されるとともに、婦人研究者問題の調査のために全国の研究室にアンケートを送ったエピソードなどを話された。松岡 信博士(名大院生命農学)は、第20回夏の学校の総会のようすを紹介しながら、博士号取得後の就職問題(オーバードクター問題)が当時の最重要事項であり、この活動の経験から大学に残る危険性を痛感して国の研究機関に就職したという経歴などを話された。また、岩田 想博士(京大院医)は、東京、筑波、フランクフルト(ドイツ)、ウプサラ(スウェーデン)、ロンドン(英国)、京都と各地で研究を続けてきた経験をもとに、研究のおもしろさやつながりの大切さを若手に対して熱く語られた。最後に、筆者とともに世話人を務めた稲垣賢二博士(岡山大院自然科学)が閉会の挨拶をして、約2時間のシンポジウムは終了した。
 聴衆の多くが生化若手の関係者であったため、公演中も会場からコメントが入るなど、シンポジウムは終始なごやかな雰囲気で進んだ。と同時に、いままで生化若手に関わったことのない学生も多数参加していたようで、学会期間中にたくさん声をかけられたことはたいへんうれしかった。

 祝賀会は、一般65名、学生29名が集まり、OB・OGのほか、日本生化学会事務局や協賛企業の方々など、生化若手の関係者が勢揃いした。懐かしい顔に会って昔話に花が咲き、受付前から会場は活気にあふれていた。日本生化学会会長の中野明彦博士(東大院理)の挨拶のあと、生化若手の初代会長である千谷晃一博士(藤田保健衛生大)の乾杯で祝賀会ははじまった。参加者は各世代が交じり合った10人ずつの丸テーブルにつき、食事や歓談に興じた。会場正面にはスクリーンが設置され、OB・OGから当時を振り返る話題が提供された[話題提供:三井恵津子博士(武田計測先端知財団)、鈴木和男博士(千葉大医院)、倉元綾子博士(鹿児島県短大)、三品裕司博士(米国Michigan大)、木賀大介博士(東工大院総合理工学)]。当時の懐かしい写真や資料、エピソードなどがつづき、話が途切れることはなかった。最後は、2008年夏の学校の実行委員長である飯島玲生さん(阪大院生命機能)から現在の夏の学校のようすが紹介された。また、PNE編集部から、1966年からつづく本キュベット欄について気体の言葉があった。まだまだ話がつきる気配はみられなかったものの、予定の2時間はゆうに過ぎ、開始から3時間に迫ろうかというなか、一本締めにて祝賀会はお開きとなった。

 この企画をとおして、生化若手が多くの方に支えられていることを知るとともに、50年間、今日まで途切れることなく続いてきたことの偉大さをあらためて実感することができた。次号では、この50年間に生化若手がどのような役割を果たしてきたのか、そして、つぎの50年にむけて何をめざしていくべきかを考えてみたい。

加村啓一郎(東京大学大学院理学系研究科)


5月| 生化学若い研究者の会における“夏の学校”の役割

2008年12月、生化学若い研究者の会(生化若手)は創立50周年の記念行事を開催した(2008年4月号の本欄を参照)。そのなかで、多くのOB・OGの方から発せられた第一声は、”この会が50年もつづくとは思わなかった”というものだった。なぜ、生化若手は50年ものあいだ途切れることなく継続してこられたのだろうか。それには、”夏の学校”が非常に重要な役割をはたしていたと筆者は考えている。
 筆者が生化若手の運営に携わって約4年になるが、生化若手の課題は、端的には”組織の継続性”だといえる。これは生化若手に特有の課題というよりは、学生組織における一般的な課題ともいえるだろう。生化若手は学部生からポスドク、助教まで幅広い年代から構成されているが、その運営の中心は大学院生であり、運営スタッフとしての在籍期間は2~3年が平均である。組織内の人材に激しい流動性があるというのは学生組織の特徴であり、ゆえに、組織としての長期的なビジョンが描きにくく継続に支障を生じやすい。さらに、この課題をヒト・モノ・カネの観点からみてみると、ヒトに関しては上記のとおり、組織の構成員が数年単位で入れ替わってしまうという問題がある。また、モノに関しては、物理的な拠点が存在しないため、資料の蓄積がむずかしく過去の資料を参照できないという問題がある。そして、カネに関しては、非営利団体であるため、資本を増大して組織を拡大していくということがむずかしいという問題がある。これらの問題については、50年前からさして大きな変化はなかったはずである。にもかかわらず、生化若手が継続してこられた理由は、”夏の学校”という活動の軸を得たことにあるのではないだろうか。
 創立50周年の記念行事をとおして筆者がはじめて知りえたことは、夏の学校は、この50年のあいだ、そのスタイルをほとんど変えていないということである。寝食をともにして学び語り合う合宿形式はもちろん、生化学会や一般企業からの支援を得ながら若手が自主的に企画・運営する形式は、すでに第1回から実施されている。その年の夏の学校に参加した人のなかから、活動内容に共感した人が、スタッフとして翌年の夏の学校の企画・運営に携わり継続してきた結果なのである。同じものを1年後に再びつくりあげることによって、短期間で明確なビジョンを共有することができる。しかしながら、変わらないのはハードだけで、講義の内容などのソフトについては生命科学の進歩や若手をとりまく環境に応じて新しいものが取り入れられてきたため、くり返しによるマンネリ化は生じなかったのだろう。生化若手には”生命科学に携わる若手研究者の交流と環境改善”という大きな目的があり、夏の学校はその目的を達成するための活動のひとつにすぎない。しかし実際には、夏の学校を実施することで生化若手はまわっており活動の軸となっている。これが、生化若手が、特性としては継続性に脆さをもちながらも、50年ものあいだ継続できた理由なのではないだろうか。
 ただし、夏の学校のように継続してきた活動がある一方、一時的な運動で終わってしまった活動もある。それは、就職や女性研究者など若手をとりまく環境の改善に関する問題であり、これまでの歴史を振り返ってみても、要所要所で大きな課題となっている。しかし、似たような問題をくり返し議論しているということは、いずれも根本的な解決にはつながらなかったためであり、一貫した活動ができていなかったということであろう。これらは生化若手の目的に直結する課題ではあるが、生化若手が学生組織であるという特性を考えると、実際には解決策を得ることは困難なのではないだろうか。このような課題に対処していくには、学会などほかの専門組織への協力や、中長期的に取り組む別組織の形成(たとえば、NPO法人サイコムジャパンなど)により貢献していくことが適切なのかもしれない。
 昨今、グローバルCOEなどを中心に、学生が企画・運営の主体となって開催されるシンポジウムや研究交流会が増加している。これは、生化若手が50年つづけてきたことが、いま非常に重要視されてきたことの表われだと感じる。今後の活動においても、夏の学校は生化若手の中心にあることに変わりはないだろう。そのなかで、今後も若手の視点から時代や環境の変化をとらえつつ、つねに新しい話題や課題を提供していくことをめざしていきたい。

加村啓一郎(東京大学大学院理学系研究科)
E-mail : pen-cuvette@seikawakate.org


6月| 生物学版のロボットコンテスト、iGEM

 はじめに
 2008年11月、米国Massachusetts工科大学(MIT)において、生物学版のロボットコンテスト(ロボコン)であるiGEM(The international genetically engineered machine competition、国際大学対抗遺伝子工学技術応用機械コンペティション、http://2008.igem.org/Main_Page)が開催された。本格化して3年目をむかえた今回のiGEM2008には、21カ国から84チームが参加し、そのなかには、米国Harvard大学、MIT、米国California工科大学(CalTech)、中国清華大学など、各国の有名大学が出場していた。わが国からは、東京工業大学、千葉大学、京都大学が出場した。本稿では、東京工業大学のメンバーとして参加した筆者の体験を紹介したい。

iGEMとは?
 iGEMとは”細胞ロボット”をつくる合成生物学の国際コンペで、おもに大学の学部生をその対象としている。各チームは毎年11月にMITで開催される大会で研究成果を発表し、審査員からの評価にもとづき賞が授与される。
 細胞ロボットをつくるにあたって、iGEMでは、BioBrickとよばれる規格化された遺伝子パーツを組み合わせることで新しい生命システムの設計と構築を行う。これには、分子生物学実験(ウエット)とコンピュータシュミレーション(ドライ)の協同作業が欠かせない。細胞に目的の動作をさせるために、遺伝子による人工的な制御ネットワーク(遺伝子回路)を細胞に導入する。しかし、遺伝子回路は往々にして思い通りには動作しない。そこで、コンピュータシュミレーションで得られたデータをもとに、遺伝子回路の微修正を行う。このような作業をくり返すことで細胞ロボットはつくられるのである。
 iGEMに特定のテーマはない。したがって、各チームは思い思いデザインした細胞ロボットを発表する。たとえば、過去に発表された研究、”バクテリアでつくった感光フィルム”や”バナナの匂いのする大腸菌”などは、一見、突拍子もないテーマだが、これらは医療や環境・エネルギー産業などの分野に応用される可能性を秘めている。今回、筆者らのテーマは、”Coli Touch:圧力応答するバクテリアでタッチパネルをつくる”であった。バクテリアを圧力で制御するというiGEM初のアイデアが評価され、金賞の栄誉に輝くことができた(84チーム中、16チームが金賞を受賞)。

iGEMの魅力
 iGEMの魅力を2つあげたい。真骨頂ともいえる1つ目の魅力は、MITで開催される国際大会であり世界各国の大学と研究発表で勝負できることである。筆者にとって、MITやHarvard大学の学生は憧れでしかなかった。しかし、iGEMでは彼らと同じ舞台のうえで互いの実力をぶつけあえたことに、興奮と喜びを感じることができた。そして2つ目は、学部生は研究室のテーマにしばられず自分のオリジナルなテーマで研究できることだ。この2つの魅力は、日本の大学の研究室ではなかなか経験できることではない。それを研究室に所属する以前の学部生が経験できる。ここに、iGEMに参加する大きな魅力がある。

iGEMで得たもの
iGEMが終わって半年が経ったが、いまなお思いつづけていることがある。それは、世界を相手に勝負したいという気持ちだ。自信をもって乗り込んだiGEMでは、海外チームの優秀さに圧倒されつづけた。プロジェクトの難易度、実験量、プレゼン力の高さなどを目のあたりにして、これが本当に同世代なのかと驚いた。そんな自分の感覚にもかかわらず金賞を受賞することができた。これは、努力すれば世界を相手に勝負できるという大きな自信になり、つぎは本物の研究で世界を相手に勝負したいという気持ちにつながった。
 iGEMでは世界中の学生が研究をつうじて互いを刺激しあっている。こんな体験はiGEMからでしか得られないかもしれない。

おわりに
 iGEMに参加するチームは毎年増えており、2009年は、わが国からも新たに東京大学などの数校が参戦にむけた計画を開始している。これからiGEMに参加する人には、ぜひ全力で挑戦し世界と勝負する楽しさを味わってほしい。

梶田真司(東京工業大学生命理工学部)
E-mail:pne-cuvette@seikawakate.org


7月| 意外とおいしい大学院留学:前編

 大学院留学を考えている学生はどれくらいいるのだろうか.中国や韓国といったアジア各国に比べて,大学院留学する日本人の割合は少ない.これは,多くの日本人が大学院留学のメリットを知らないからではないか.本稿では,大学院留学の虜となった筆者がその魅力を紹介する.ひとりでも多くの人に大学院留学のよさを共有してもらえるよう筆を進めていきたい.

 これまで,多くの日本人が海外の大学院で博士号を取得し活躍している.著名な例としては,米国 California 大学 San Diego 校で博士号を取得し,のちにノーベル医学生理学賞を受賞した利根川 進博士がいる.利根川博士が留学したのは50年もまえのことで,海外に行くことすらむずかしかった時代であり,たいへんな英断であったと思う.しかし,現在では海外はずっと身近な存在になり,まして,生命科学において国境はおおきな意味をもたない.このような状況において,日本の大学院だけではなく,海外の大学院をも進路の選択肢のひとつとしてよいのではないだろうか.大学院留学のメリットを考えると,その選択肢はより魅力的なものとなる.以下に大学院留学のメリットを2つあげる.

【金銭的なサポート】
 米国の大学院では金銭的なサポートが充実している.日本の大学院生は学費と生活費の両方を工面する必要があり,これが大きな負担となっている.一方,米国の大学院生は授業料の免除ばかりか,ほとんどが生活費の支給まで受けている (例:Rockefeller 大学では年間31,000 ドル, Northwestern 大学では年間 27,000 ドル) .もちろん,豪奢な暮らしは望めないが,日本より生活費の安いことも手伝って,自炊ならば一人身には十分な金額である.
 さらに,にほんでも留学生むけの奨学金制度がさまざまな団体から用意されている.受給期間や金額,応募条件などを検討し,自分にあった奨学金をみつけだすことができるだろう.留学についての基礎情報は,日本学生支援機構 http://www.jasso.go.jp/study_a/oversea_info.html を参照してほしい.博士号または修士号の取得をめざす場合は,本庄国際奨学財団 http://www.hisf.or.jp/,中島記念国際交流財団 http://www.nakajimafound.miinet.or.jp/村田海外留学奨学会 http://www.muratec.jp/ssp/などが金銭的な支援を行なっている.また,修士課程を修了することが目的ならば,伊藤国際教育交流財団http://www.itofound.or.jp/も魅力的である.これらのホームページに掲載されている応募人数をみると,実際に多くの学生が会学の大学院留学を志しているようだ.このように,大学や奨学財団による金銭的援助がうけられることは大学院留学の大きなメリットである.

【選べる研究室】
 世界中の研究室を視野に入れることで,研究の選択肢を大幅に広げることができる.研究室を選ぶとき,先輩から勧められたり,論文を読んだり,さまざまな手段を用いて情報を収集しているだろう.その際,日本の研究室だけではなく,海外の研究室も視野に入れてはどうだろうか.筆者は線虫やショウジョウバエを用いた神経変性疾患の研究にたずさわりたいと考えていた.そして,興味のある論文を読む過程で海外の研究室に興味をいだくようになり,留学を考えるようになった.せっかく大学院生として研究者への一歩を踏み出すのなら,自分の興味と合致した魅力的な研究室を選ぶべきではないだろうか.

 本稿を読んで大学院留学に魅力を感じるのであれば,ぜひ”理系留学のススメhttp://jun.korenaga.com/にアクセスしてほしい.これは,米国に大学院留学し,現在は Yale 大学で研究室を主宰している是永 淳博士のホームページである.本稿には書ききれなかった大学院留学の多くの魅力や,豊富な体験談にもとづいた留学の”いろはが記されている.

 次号では,後編として,大学院留学を心に決め現在にいたるまでの筆者の体験談を記載したい.

嶋津直之 (理化学研究所脳科学総合研究センター)
E-mail:pne-cuvette@seikawakate.org


8月| 意外とおいしい大学院留学:後編~大学院に入学するまで~

 大学院留学の魅力を紹介した前編 (先月号) につづき,後編では,筆者が大学院留学にむけてどのような経緯をたどったかを紹介したい.  筆者が大学院留学を決意したのは,学部4年に進級してまもないころであった.大学院留学の経験者から聞いた米国の大学院の経済的な利点や,国際水準にある研究テーマ,新しい土地で様々な人と交流できる環境に魅力を感じてのことであった.だが,それを決める時期が遅すぎた.米国やカナダの大学院への進学には,学部のときの成績にくわえて,英語検定試験であるTOEFLや,大学院入学のための共通試験であるGRE (Graduate Record Examination) の対策が必要であり,短期間で合格することはむずかしい.そこで,大学を卒業したあとの進路として,大学院留学の準備をしながら実験の経験を得られるポストを探したところ,幸運にも,理化学研究所の任期制技術員として働く機会を得ることができた.  1年目は筆記試験の準備にあて,2年目の7月ころから出願の準備をはじめた.まず,興味のある研究をしている10人の教授に手紙を送ったところ,そのうち2人から面接の了解が得られた.大学院留学ではこの面接がもっとも重要であり,ここで好感触を得られれば合格は目前である.筆者はすぐに訪米し面接を受けた.H教授のもとでは非常に内容の濃い面接が行なわれた.さらに,教授との面談のみならず,研究室メンバーやほかの研究室の教授との面談もあり,食事やパーティーにいたるまで昼夜休みのない3日間であった.しかしながら,H教授夫妻と食事をした最終日,”Give us all with great impression”という言葉と素敵な笑顔をもらったときには,その疲労感は彼方へと飛んでいった.一方,もうひとりのM教授の面接は比較的楽であった.教授との約1時間の面談ののち,数人の研究室メンバーと話す機会があった.短い面談ではあったが,自分なりに考えた実験案を思い切ってぶつけたことが功を奏したか,帰国後,M教授から”amazing candidate”という評価をもらった.  筆者は帰国後,2人の教授から高い評価を得たことで合格を確信し,大学院留学へのたゆまぬ努力が報われたと有頂天になってしまった.そして,12月の出願期間がせまるなか,濃密な面接で対応してくれたH教授のいる大学院にのみ出願した.つまり,単願である.面接の評価だけで合格するものと確信していたからだ.だがこのとき,米国に端を発した経済危機の影響が大学院へも波及し,大学院留学生への審査が例年に比べてはるかに厳しい状況となっていたことを,筆者は知る由もなかった.  2月になって突然,H教授から,金銭面で折り合いがつかないと告げられた.有頂天になっていた自分への報いは大きく,地獄をみせられた気分であった.このときほど自分のおろかさを悔やんだことはない.残された選択肢として,とっさにM教授が所属する大学院への出願が思いうかんだが,出願の締め切りからはすでに1カ月をすぎていた.絶望のうち,万にひとつの可能性を考えてM教授に連絡をとってみた.すると,教授の寛大な取り計らいにより出願が認められ,学科長との電話による面接を受けて,合格通知を得ることができた※.捨てる神あれば拾う神あり,という言葉を心底から実感した瞬間であった.  大学院留学を直前に控えた現在の心境は,不安と期待が半々くらいである.大学院に留学すれば5年近く米国に滞在することになり,実験のみならず学科においても優秀であることが要求される.また,日本とのつながりが薄れてしまい,就職に困るという話もよく聞く.さまざまな苦労を覚悟する必要があるだろう.その一方,若いときに思い切って世界に飛び出して日本では得がたいいろいろな経験を積むことは,科学者になるうえで大きな糧になると期待している.  前編・後編をとおし,大学院留学の魅力と,筆者の大学院留学にむけた経緯を紹介した.本稿により,海外で博士号取得を志す仲間が増えることを祈っている. 2009年7月より米国Northwestern 大学大学院に留学予定 嶋津直之 (理化学研究所脳科学総合研究センター) E-mail:pne-cuvette@seikawakate.org


9月| 学振をとおして研究をかえりみる:前編

 研究室に所属する人ならば”ガクシン” (学振) という言葉を耳にしたことがあるだろう.これは日本学術振興会特別研究員の通称で,博士課程1年次から3年間採用される”DC1″,博士課程2年次以降に2年間採用される”DC2″,そして,博士課程修了者が3年間採用される”PD”がある (ただし,医学,歯学,獣医学系を履修する4年制博士課程在学者の場合は,DC1が博士課程2年次,DC2は博士課程3年次以降) .このうち,DC1やDC2は大学院生にとって大きな関心事である.なぜなら,特別研究員に採用されれば年間240万円の研究奨励金と年間最大150万円の研究費が支給されるからだ.しかし,この制度の存在は認識していても,具体的にどのような申請を行ない,その際にどのような点で苦労するのかについては,実際に申請をしてみた人にしかわからない.そこで,2009年度の募集においてDC2への申請を行ない,現在,審査中である2人の博士課程1年次の大学院生,SさんとTさんにインタビューし,その体験談を語ってもらった.前編となる今月号では”申請することの意義”を,後編の次号では”申請時に考慮する点”についてまとめる.

【Q】学振を申請しようと思ったきっかけは?
【S】採用された場合,生活費はもちろんですが,自分の裁量で研究費 (所属する研究室の研究費では購入できない文献やパソコン,出張経費など) を使えるということが大きかったです.金銭面でのサポートがあれば精神面にもよい影響があり,研究に集中できるのではないかと感じました.また,自分の研究を振り返るきっかけとなり,挑戦して損はないと思いました.
【T】自分の力 (発想力,調査力や文章力) を試すためです.学振は同じ大学院生どうしの競い合いとなるため,自分の研究者としての能力を客観的に知る指標となります.たとえ不合格であっても,自分に何が足りないのかを知るきっかけとなりますし,もし採用されれば自信になると考えたからです.

【Q】学振への申請を経験して研究への取り組み方などに変化はありましたか?
【T】自分の研究の意味をより深く,具体的に考えるようになりました.自分の研究をアピールするためには,研究の背景,目的,そして,独創性を明確にしなければなりません.それらは研究を行なううえでの基本であり,学振の申請項目そのものです.申請後はつねにそれらを意識して研究するようになりました.
【T】私も,今回の申請が研究の位置づけや意義の明確化について,いままで以上に深く考える場となり,今後やるべきことがはっきりしてモチベーションがあがりました.

【Q】研究の意義を深く意識するようになったとのことですが,研究の意義を明確にするうえで具体的にどのような努力をしていますか?
【S】同じ分野の論文を深く読むことで論文の論理性を検討し,その意義を明確に把握できるよう努力しています.得られた情報をもとに,自分の研究がほかとは異なる意義をもつよう研究目的を絞り込んだり,軌道修正したりしています.

【Q】今回の経験をとおして,研究以外の面で考えさせられたことはありましたか?
【S】物事を他人に伝えることのむずかしさと重要性を認識しました.これには”物事の本質を見抜く視点”と”表現力” (要点を簡潔に書く,表現に強弱をつける) の両方が必要です.今回の経験によって身についたこれらの力は,研究以外の場面でも求められるものだと思います.
【T】申請書を書くことによって,いくら自分がおもしろいと感じるアイデアでも,他人に伝わらなければ何もはじまらないということを実感しました.

次号では,実際の申請書類において,どのように自分の研究を伝えればよいのか,その方法とむずかしさについて,より具体的に聞いてみたい.

清水聡一郎 (東京大学大学院理学系研究科)
E-mail:pne-cuvette@seikawakate.org


10月| 学振をとおして研究をかえりみる:後編

 先月号にひきつづき,日本学術振興会特別研究員 (学振) DC2審査中の大学院生SさんとTさんにインタビューを行なった.学振の申請書の記入欄は”申請資格等””現在までの研究状況””これからの研究計画””研究業績”の4つのパートに分かれている.さらに,”これからの研究計画”には,研究背景,研究目的・内容,研究の特色・独創的な点,年次計画,の4つの項目がある (http://www.jsps.go.jp/j-pd/pd_sin.html) .このような申請書をはじめてみる人の多くは,一見して,むずかしそうだと感じるだろう.そこで,2人には,実際に申請書を執筆したときに感じたことについて聞いてみた.

【Q】実際に申請書をみたとき,記入欄が膨大であることや,記入事項のほぼすべてを自分で組み立てる必要性があることに驚いたのですが,SさんとTさんはどのように感じましたか?
【S】それぞれの項目の記入欄が膨大である反面,項目のあいだに内容の重複があると感じました.たとえば,申請書には”研究目的・内容”と”研究の特色・独創的な点”とを記す項目が独立に用意されています.自分の研究の重要性をアピールするためには,どちらの項目にも研究目的や研究の特色,独創的な点を盛り込みたいと思いました.内容の重複はさけられませんが,審査員を飽きさせないためにも,項目間の差別化をはかることが”カギ”となると感じました.
【T】自分の場合は,一般的にまだ広まっていないような用語の多い分野の研究を行なっており,むしろ,文字数を減らす工夫が必要だと感じました.スペースが足りず,用語の説明だけでおわりかねないと危惧したからです.

【Q】それぞれに違った印象をもたれたようですね.Sさんの場合,項目間の差別化はどのように工夫しましたか?
【S】差別化のまえに,まず,統一化をはかりました.具体的には,審査員が研究の全体像をくり返し俯瞰できるように,それぞれの項目に研究の一連の流れ (目的,内容,特色など) を取り入れました.そのうえで,項目ごとの要求にしたがって詳細に説明するようにしました.

【Q】Tさんは,逆に,記入欄が不足しているようでしたが,専門用語をかぎられた文字数で理解してもらうための工夫とは,どのようなものだったのでしょうか?
【T】説明が必要な専門用語の使用をなるべくさけ,使用する言葉を統一し単語数を減らす努力をしました.こうして,自然と読み手にあったやさしい文章になっていきました.

【Q】話を聞いて,あらためて申請書作成のたいへんさを実感しました.今後,申請を行なう予定の学生にとって,なにか文章作成のトレーニングとなりえそうなことがありましたら,アドバイスをお願いします.
【S】学会発表の経験が役に立ったと思います.発表要旨を書くことが文章作成のトレーニングになったことにくわえ,異分野の研究者からの質問をとおして,これまでとは違った観点から自分の研究を見直すことができました.
【T】自分の文章を他人にみせてフィードバックをもらうことが有効です.また,この際,なにをいわれても,文章が批判されているのであって,自分が批判されているわけではないという心構えをもつ姿勢を忘れてはならないと思います.こうして文章作成のむずかしさを痛感すると,他人の文章を読むときに自然と書き手の気持ちになって読み,参考にするようになります.また,専門外の人にむけた文章の手本として,『日経サイエンス』の記事を参考にしました.

 以上,2号連続で学振についてのインタビューを行なった.本稿が学振への申請を考えることのみならず,日々の研究の意義を考えるきっかけに少しでもなればうれしいかぎりである.また,学振の採用者一覧が閲覧可能である (http://www.jsps.go.jp/j-pd/pd_saiyoichiran.html) .もし,採用者が近くにいた場合,話を聞きに行ってみてはどうだろうか.

清水聡一郎 (東京大学大学院理学系研究科)
E-mail:pne-cuvette@seikawakate.org


11月| ポスドク問題の解決:前編 産業構造に応じた博士課程定員の調整

 博士号取得者やポスドクの多くは定職に就くことがむずかしい.いわゆる”ポスドク問題”とよばれるこの問題は,”大学院重点化”や”ポスドク1万人計画”といった政策の失敗に起因する.これはもはや学生個人や民間レベルでどうにかできるものではなく,政府主導による抜本的な改革が求められている.
 最近,国は100人程度のポスドクに持参金をもたせて企業に派遣するという事業をはじめた (科学技術振興機構) .また,6月6日の報道各社のニュースによると,文部科学大臣が全国の国立大学に博士課程の定員の削減を求めたという.政府ややっと重い腰を動かしてこの問題に取り組みはじめたのだろうか.しかしながら,博士号取得者はすでに数万人の規模で膨れあがっており,この程度の政策では焼け石に水といえる.
 生化学若い研究者の会キュベット委員会では,学校基本調査 (文部科学省) や工業統計 (経済産業省) などを利用してポスドク問題について考察してきた.その結果,ポスドク問題の解決には,産業構造に応じた博士課程の定員の調整 (数の調整) と,理工系教育の見直し (質の調整) が必要なのではないか,という2つの考えにいたった.本稿では前者について議論し,後者については次号で議論する.

 われわれは,まず,学校基本調査を利用して博士課程の学科系統を”電気通信・情報系””機械系””化学・材料系””バイオ系”の4つに区分し,それぞれの博士課程に属する学生数を集計した.その結果,単年度の博士課程に在籍する約15000人のうち,電気通信・情報系博士は約1000人,機械系博士は約300人,化学・材料系博士は約500人,バイオ系博士は約8000人であった.残念ながら,学校基本調査では”分子生物学”などのバイオ系新興学科系統の多くが”その他”に分類されてしまい,正確な統計情報は得られない.これを勘案すると,実際には,バイオ系博士は8000人を優にこえていると思われる.
 つぎに,博士号取得者の”受け皿”の状況を探ってみた.博士号取得者の就職先として有力なのは,一部上場企業の研究開発職である.これらを”電気・通信産業””機械産業””化学・材料産業””食料品・医薬品産業”の4つに分け,それぞれの博士号取得者の新卒採用数を集計した.その結果,電気・通信産業では約100人,機械産業では約50人,化学・材料産業では約200人,食品・医薬品産業では約100人であった (就職四季報2009,東京経済新報社) .
 では,バイオ系博士のうち,いったい何人が就職できるのだろうか.ポスドクへの就職人数を約2000人 (科学技術政策研究所の2006年度調査によるとバイオ系ポスドクは約6000人,平均任期を3年として概算) ,一部上場企業 (食品・医薬品産業) の新卒採用を約100人とすると,就職できるバイオ系博士は2000人強となる.つまり,”就職先がない”バイオ系博士は6000人程度と見積もられる.実際には,ベンチャーなどの未上場企業や文部科学省の統計には表われない”隠れポスドク” (パートタイムやテクニカルスタッフなど) ,医師,大学教員などに就職する者も存在するので,全員が路頭に迷うわけではない.しかし,化学・材料系博士について同様の試算をすると,”就職先がない”人数はゼロであった.このことから,少なくとも化学・材料系博士に比較すると,バイオ系博士の就職状況はきびしいものであることが示唆される.
 バイオ系博士は明らかに供給過剰であり,早急に削減する必要があると思われる.そもそも,バイオ系製造業の従業員数は全業界の15%程度でしかなく,博士号取得者が過剰となることは事前に予期できたはずだ.これからの博士課程の運営には,博士号取得者の就職先に配慮して分野ごとに個別の対応を行なう”産業構造に応じた博士課程定員の調整”が重要であると考えられる.
 次号では,さらに,”理工系教育の見直し”について論じる.

生化学若い研究者の会キュベット委員会
E-mail:pne-cuvette@seikawakate.org


12月| ポスドク問題の解決:後編 理工系教育の見直し

 生化学若い研究者の会キュベット委員会では,ポスドク問題についての考察をつづけている.前号では,バイオ系産業などの規模の小さい産業のニーズに対して博士号取得者が供給過剰であり,産業構造に応じた博士課程定員の調整 (数の調整) が必要であることを提案した.今号では,理工系教育の見直し (質の調整) について論じたい.

 バイオ系博士の就職難の原因のひとつとして,スキルが主要産業のニーズに合致していないという問題がある.バイオ系博士は分子生物学などの高度な専門性を持つ一方で,工業や化学,情報などの主要産業に通用するスキルをもっていないことが多い.これは,バイオ系ほどではないにしても,ほかの自然科学系の分野にもあてはまる問題であろう.このことから,理工系学生の工学,化学,情報などの理工系基礎学力を向上させることが必要であると考える.
 理工系基礎学力が高いとどのような利点があるのだろうか.企業研究者として活躍する場面を想像してほしい.企業で採用され,はじめは大学院やポスドク時代に学んだ専門に関係する部署に配属されたとしても,定年まで同じ部署にいるとはかぎらない.多くの場合,企業研究者にはその時代の技術展開に応じたスキルチェンジが求められる.つまり,企業研究者には高い専門能力も重要であるが,それ以上に,スキルチェンジにたえられる理工系人材としての汎用性の高さが必要なのである.このとき役に立つのが,学生時代に学んだ理工系基礎学力だ.ところが,とりわけバイオ系博士はそれらの知識が十分ではなく,スキルチェンジに対応することがむずかしい.このことが,企業から敬遠される原因のひとつとなっているようである.

 なぜ,バイオ系博士のスキルチェンジは困難なのか.たとえば,大学院進学の場面において,工学系や化学系,情報系を学んだ大学生がバイオ系の大学院に進学する例はよくあるが,バイオ系からほかの分野に進学する例は稀である.このことからも,バイオ系の学生のスキルチェンジが困難であることがうかがえる.工学の基礎である物理に注目しよう.バイオ系の学生は高校で物理を履修していない場合が多く,大学進学後も物理をほとんど学ばない.平成15年度の東京大学教養学部理科2類の1年生を例にあげると,高校で物理を未修の人向けの必修科目として,前期と後期にそれぞれ1回の物理の授業があるが,必修として課せられる分野は力学と電磁気学だけであり,波動や熱力学については選択科目でしかない※.もともと物理を苦手とする学生が,選択科目でわざわざ物理を選ぶことは期待できない.結果として,たとえば”ドップラー効果”など,日常的な物理現象すら知らないバイオ系博士もめずらしくない.これは東京大学にかぎった話ではなく,ほかの大学でも枚挙にいとまがない.

 このような現状を鑑み,筆者らはつぎの提案をする.第1に,理工系の学部学科の垣根をとりはらって学部4年生までを教養課程とし,全ての学生に理工系基礎科目を必修科目として課す.これにより,高校卒業時に特定分野を選択しなければならない現状を是正し,幅広い知識をもつ理工系人材を育成することができる.第2に,専門課程を修士課程からとし,大学院入学試験を共通試験とする.これにより,大学院受験競争が過熱し,大学生は理工系基礎科目を”真面目に”勉強しなければならなくなる (同時に,これは学部受験競争を緩和する) .さらに,このことで,競争を勝ち抜いた大学院生の人材価値の向上が期待できる.もっとも,専門課程への進学時期を遅くすることは稀有な才能を埋没させてしまう懸念もあり,飛び級制度の積極的な拡大も必要と思われる.

 近年,学際領域研究や産学連携の事例が増え,異なる分野の人材交流がさかんになっている.ポスドク問題を解決するだけでなく,社会に求められる理工系人材を育てることが大切なのではないだろうか.ただし,民間や教育現場でできることには限界がある.理工系教育の改革には様々な摩擦や抵抗が予想されるが,真の科学技術立国をつくるために,政府の勇気ある采配を期待したい.

平成21年度現在,”熱力学”については必修化している

生化学若い研究者の会キュベット委員会
E-mail:pne-cuvette@seikawakate.org