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2007年

1月| 大学院生,科学技術コミュニケーションを学ぶ(5)

大阪大学科学技術コミュニケーションデザイン・プロジェクト

 大阪大学コミュニケーションデザイン・センターは,2005年度から新しく設立された多分野からなる組織である.このセンターの狙いは,専門知識をもつ者ともたない者,利害や立場の異なる人々のあいだで,双方向コミュニケーション回路を構想・設計するというものだ.筆者は普段から科学コミュニケーションに興味があったので,”科学技術コミュニケーションの理論と実践”という集中講義を受講することにした.

 「本演習は,”高レベル放射性廃棄物の最終処分”を題材にして,科学技術を取り巻く諸問題のフレーミングについて学ぶと同時に,研究の細分化により生じている専門家間のコミュニケーションの困難さを実感することを目的としています」.”高レベル放射性廃棄物”,筆者には聞きなれない言葉であった.正直,生命科学関連の内容を期待していたので,残念な気持ちと討論に参加できるのか不安な気持ちを抱いたが,メールで同時に知らされた資源エネルギー庁放射性廃棄物のホームページを読み,事前知識をつけ本番に臨んだ.

この講義の特色は全学部からの受講生がいるという点であり,たとえば,理論物理や哲学を学んでいる者など,多様な背景をもつ大学院生が受講していた.原子力を専門にしている大学院生はいなかった.
 
  最初に講義を聞いたあと,受講者は8人程度のグループに分かれ,各人が司会や書記,まとめ役といった役割を担当してグループごとに討論を行なった.このような形式の討論を初めて経験する参加者もおり,手探りで議論を進めていくといった感じであったが,グループのメンバーが互いをフォローしあい,短期間にもかかわらず妙な連帯感をもつことができた.

筆者が抱いていた一抹の不安をよそに,初日から非常に活発な議論が交わされた.皆,専門以外のことにもかかわらず,事前の予習や当日の講義を聴き,自分なりの意見をしっかりともって議論に臨んでいた.

ここで感じられた興味深いことは,専門が異なる者どうしのあいだでは議論の進め方がかなり異なるという点であった.たとえば,端的に論点のみを述べて論理的かつ合理的に議論を進める者,また,概念から自分の意見を述べて思考過程を楽しむように議論する者.筆者自身は偏った断片的な知識しかもち合わせていなかったため,自分の意見に固執せず客観的に議論を吟味し,それぞれの意見を多面的にとらえようと思っていたものの,実際,討論になるとついつい熱くなり,視野が狭くなってしまっていた.この点は,あらためて,コミュニケーションの際の相手とのキャッチボールのむずかしさを感じさせられた.

最終的に議論自体はうまくひとつにまとまった,というわけではない.しかし,先に述べた授業の目的は達せられたと思う.個人的には,このような講義は大学院生だけでなく,大学生,一般の人たちや高校生なども交えて行なわれることを期待したい.

科学技術コミュニケーションの重要性がさけばれはじめた昨今,サイエンスカフェなどの多くのイベントが国をあげて全国で開催されるようになった.これらの取り組みは大切であり,今後ともぜひ続けていくべきだと思う.しかし,一般の専門知識をもたない人たちは,いったいどこまでそのような取り組みを認識し興味をもっているのだろうか.コミュニケーションを続けていくのにおいて大切なことは,あくまでも自発的に行なわれることだと思う.このセンターの狙いである,”専門知識をもつ者ともたない者や,利害や立場の異なる人々のあいだで,双方向コミュニケーション回路を構想・設計する”を達成するには,より根本的・初歩的な問題から解決していく必要があると思う.筆者自身,その間題がいったいなにか,また,問題に対する解決策はなにか,などはまだ模索中であるが,今後とも自分の専門分野をしっかりと確立しつつ,なにかしらの形でこれらの取り組みにかかわりをもちたいと思っている.
橋本興人(大阪大学大学院理学研究科博士1年)
E-mail:okito_hashimoto@@hotmail.com


2月| 研究者の任期制

かつて,任期制研究者といえばボスドクがほとんどであったが,近年は,21世紀COE プログラムなどを代表とする,期限つきのプロジェクトにあてられた研究資金によって雇 われた特任教員が増加している.任期制には,定期的に研究者の業績を見直し,より評価 の高い人材を優先することにより,有望な研究活動を重点的に支援できるというメリット がある.よい職を得るための競争のなかに身を置いて切瑳琢磨することにより,世界にお けるわが国の研究の進展速度を上げる効果が期待できるだろう.これに対して,研究者に 多大なプレッシャーがかかるという強いマイナス面もある.また,少人数のグループが限 られた任期のなかで仕事をまとめるためには,どうしても”安全圏”をねらった仕事を優先 せざるをえず,独創性のある仕事が発展しにくくなるという点もあげられる.物事には必 ずメリット・デメリットが含まれるのは当然であるが,重要なことは,この任期制の拡大 という新たな試みを,いかにしてデメリットを最小限に抑えたうえで,メリットを最大限 にひき出すように発展させていくか,ということであろう.本稿ではこの点について,筆 者が所属する研究科のCOEを例にあげつつ,問題提起をしてみたい.

 内輪によるひいき目かもしれないが,当COEは全体としてレベルが高いように思える. 実際,ランクの高い論文を数多く世界へと発信しているが,これに対しては批判的な見方 もある.ある超有名研究室に所属する特任助教授は,COEに参加する前から同じ研究室 に所属しているが,彼について”ビッグラボの優秀な若手を同じテーマのまま昇進させた のだから,結果が出て当然だ”という意見がある.たしかに,過去から積み上げたテーマ を続ければ限られた任期のなかでも高い業績をあげやすい.とはいえ,よい研究環境がな ければ結果は出せないわけであり,最終的に世界に認められるような結果を提示したのだ から,これは”結果主義”に合致しているといえよう.それどころか,任期制の問題点であ る”限られた任期のなかでは大きな仕事をやりにくい”というデメリットをうまく抑えたひ とつの成功例ともいえるのではないだろうか.

 別の特任助教授は,科学技術振興機構の任期制研究代表者から,兼任を含めてCOEに 参加しているが,当時から現在に至るまで自分の論文は発表していない.一方,彼の研究 室の特任助手は,いわゆる3大誌(Cell,Nature,Science)の姉妹誌を含む数報の論文を 発表しているが,当人の能力とは無関係の理由で配置換えの対象となった.結果主義によ らないこのような問題は当COEにかぎったことではなく,水面下で数多く起こっている と思われるが,任期制のメリットである”結果を出せる人を優先する”という点から大きく はずれた人事であり批判も多い.

 先に述べたように,任期制を大きく拡大するという試みが遂行されるためには,その試 みが適切に機能する環境を整える努力が必要不可欠である.上記の2つの例において,前 者はうまく機能した成功例であるが,後者は失敗例といえよう.これは単なる一例にすぎ ないが,このような任期制の光と影に関する話は,任期制を取り入れた全国各地の研究機 関で聞けるのではないだろうか.重要なことは,現在の任期制の成功例と反省点をしっか りと把握し,それに基づいて,研究者を正しく評価できる信頼性の高いシステム構築を重 ねることであろう.任期制の”結果を重視し,研究者を数年ごとに一新する”という長所は, 非常に冷酷な制度でもあり,研究者にとっては両刃の剣である.未来の担い手である若手 研究者を生かすも殺すも,さらには,彼らが所属する研究機関の存亡すら,任期制の基本 システムによるところが大きい.優秀な若手研究者の可能性を最大限にひき出すためにも, 大きく貢献しうるシステムが試みどおり機能するよう監視する慎重なシステムづくりが急 務であるだろうと考える.

ペンネーム 鴨川のカモ
E-mail:vster@@mait.goo.ne.jp


3月| 研究者がブログを書く意義と効能 ―準備篇―

  簡便に自己表現できることから,ブログを書く人が急増しつつある.研究に携わってい る人が書いているブログも多く,現在では,学生から大御所クラスの大学教授まで,老若 男女を問わずさまざまな立場の人が日々考えていることをWeb上で日にすることができ る.筆者がブログというものを認識するようになったのは,Gardener’s Diary (http://www.sgtpepper.net/garden/diary/)を知ったときからであると思う.そこでは, 筆者が興味をもつ分野の論文がわかりやすく解説されており,大きな感銘を受けた.自分 も同じようなことをしてみたいと思い,2005年7月から”とある昆虫研究者のメモ” (http://ghop.exblog.jp/)というブログを書きはじめた.このブログの根幹を成してい るのは,筆者が読んで面白いと思った論文の簡単な内容紹介と感想である.筆者は昆虫を 材料に研究を行なっており,紹介する論文は昆虫に関するものが主である.きわめて偏っ た内容であるにもかかわらず,当初は考えていなかったような多くのアクセスと意外な反 響をいただいている.これから2回にわたって,ブログ継続のコツ,1年を経過したいま考 えていることなどを述べたい.今回は,準備編として,話題のみつけ方と継続のコツにつ いて述べる.

■話題のみつけ方

 研究者が書くブログの内容はさまざまであるが,日常生活や考えたことを同業者あるい は一般の人に伝える,日記風のスタイルが一般的である.筆者の場合,上述したようにお 手本となるブログが存在したし,面白い話題を連続的に提供する自信がなかったので,最 初は1日に1本の論文紹介というスタイルをとった(平日のみ).慣れるまでは四苦八苦し たがすぐに慣れ,頻繁な更新を継続したことでアクセス数は急上昇した(その後,更新が 滞るとアクセス数は停滞したが,それほど減りはしなかった).筆者は,自分が興味をも ちそうな論文については,PubMedのRSS機能を利用し複数のキーワードを設定し ておいて,情報がすぐに入るようにしている.論文のタイトルに日を通し,興味をひいた ものは読んでみて,面白ければブログで紹介するようにしている.母国語である日本語で 記述するという作業によって内容への理解がよりいっそう深まるし,異なる分野の研究者 あるいは一般の人が自分の研究分野に興味をもってくれるきっかけにもなる.読んだ論文 をブログ上で紹介するというスタイルは,多くの研究者にぜひお勧めしたい.

■継続するコツ

 あまり間を空けずに書き続けることが継続のコツだと思う.コメントやメールなどで意 見をいただくと嬉しいものだが,まれな更新ではそのようなフィードバックの頻度も下が ってしまう.1カ月更新が滞っているブログの約半数は2度と更新されない,というデータ もある.とはいっても,諸事情で更新を休まざるをえなくなることもあるだろう.そう簡 単には読者が減らなくなるような時期まで頑張って頻繁に更新し,それ以後は気楽に構え るのが継続のコツだと思う.
 筆者の場合,ブログ上では実名を公表していないものの,調べればすぐにわかるように なっている.筆者のような弱い匿名性でもってブログを書いている研究者は多い.同業者 にはその人が誰なのか簡単にわかる程度の匿名性にすると,そのブログにはある種の魅力 が生じると思う.研究者にとっても,ブログは自己表現の場としての機能を有している. 筆者は,ブログを通して複数の執筆依頼を含むさまざまなフィードバックを受けた.そう いったフィードバックがブログを継続する最大の原動力となっているが,完全に自らの存 在を秘匿していてはそのようなフィードバックは受けられない.自己表現,宣伝の場とし てブログを活用することが,ブログの魅力を増し,その継続にもつながると思う.

 次回は,”実践編”として,実際にブログをはじめてみて気づいた点,フィードバックの 具体例を紹介する予定です.
岩田健一(農業生物資源研究所)
E-mail:g-hop@@mail.goo.ne.jp


4月| 研究者がブログを書く意義と効能 ―実践編―

 前回は準備編として,筆者の経験を中心に,ブログを書くために必要な準備や継続のコ ツを書いた.今回は実践編として,実際に書きはじめて気づいた点,ブログを書くことで うけたフィードバック,そして,ブログのもつ潜在性について述べたい.

■ブログの継績を通して得られたもの

 ブログをはじめてしばらくのあいだは,ブログを書いていることを教えた知り合いが時 折コメントを書いてくれる程度で,ほとんど反応はなかった.前回紹介したように,筆者 の場合は昆虫学に関連した論文紹介をメインにしている.そこで,ある程度の数の紹介記 事を書いた時点で,アクセス数の多い生物関連のWebサイトに書き込みを行ない宣伝に努 めた結果,ブログヘのアクセス数は急増した.アクセス数の一般的な増加法については, それらが紹介されているWebサイトがあるので参考にされたい.
 アクセス数の増加に伴って,昆虫学にたずさわる研究者はもちろんのこと,異分野の研 究者や一般の人からもメールやコメントをもらうようになった.紹介した論文に対しさま ざまな視点からなされる議論は,コミュニケーションツールとしてのブログの醍醐味であ ると思う.また,筆者の場合,ブログ執筆に対するそのほかのフィードバックとして,書 評・コラムのような短文の執筆,昆虫学の普及に対する表彰,書籍の執筆依頼などがあっ た.これらのフィードバックはブログを書いていなければ経験しえなかったものであり, ブログ更新をつづける原動力となっている.
 さらに,ブログ上での論文紹介を日常化することにより,自身の生物学に対する知見を 深めることができた.それまでももちろん論文は読んでいたが,英語で書かれた論文を読 んでその内容を“理解する”のと,それを他人にわかるよう日本語で“説明する”のとで は,必要な労力がまったく異なる.ブログ執筆は“説明する”ことのトレーニングにもな ったし,論文の内容をより深く理解できるようにもなった.また,紹介した論文はキー ワード検索が可能になっているため,データベースとしても有用である.

■ブログのもつ潜在性

 ブログを書くことにはある程度の労力がかかる.また,場合によっては不適切な書き込 みによりトラブルになることもあるだろう.それでもブログを書きつづけるのは,それに 勝る喜びがあるからにほかならない.学術分野は細分化が進む一方,汎用技術の進歩によ って異なる分野間の交流がブレークスルーになることも多くなっていくだろう.実際に, ブログを介して共同研究がはじまる例も日にしたし,筆者自身,これからそのような機会 があれば積極的に生かしていきたいと考えている.個人の情報発信ツールとしてのブログ に対する注目は現在も高まっているが,じつはブログが注目されはじめてからの時間は長 くなく,筆者のブログもはじめてからまだ1年半しか経過していない.筆者はそのあいだ, 300編程度の論文を紹介してきたが,5年,10年とこれを継続していけば,その情報量はば かにできないものになるだろう.
 筆者は,研究にたずさわる人々が自分の研究分野について日本語で語る,巨大で長期的 な場の形成を夢みている.最近になって,日本人が母国語たる日本語で思考することの意 義・重要性が多方面から主張されている(たとえば,『国家の品格』藤原正彦,新潮社, 2005)が,筆者はそのような考えに完全に同意するものであり,わが国における研究の独 自性は,自らの国の言語をその源のひとつにするべきだと考えている.また,異分野間の 交流においても,日本語で書かれた研究紹介はその敷居を低くするだろう.個人が日本語 で思考した内容を書きつづり,情報発信し,語り合う.ブログでなくともそのような場は つくれると思うし,のちにほかの形式に置き換わることもあるだろう.しかし現時点では, 上述したような情報発信・情報交流の場としてブログは,即時性,開放性の面でもっとも 適していると考える.

 これを読んでブログを書きはじめ,長期的に継続してくれる研究者がひとりでもいれば, この文章の意義はそれだけで大きなものになる.

岩田健一(農業生物資源研究所)
E-mail:g-hop@@mail.goo.ne.jp


5月| 研究者と知的財産のかかわり

■研究成果の社会への還元

 1980年年代,国際競争力が低下した米国は,知的財産の保護を強化するプロパテント政 策とあわせて産学連携を進め,その結果として競争力の回復に成功しました.これと同様 に,国際競争力の低下が叫ばれているわが国もまた,大学の”知”に着目しています.高い 人件費,少ない資源という制約のなかで競争力を高めるため,その源泉として大学の”知” が期待されているのです.企業も同様に,大学の”知”に期待しています.競争がが国際化 し技術の進歩が加速している昨今では,企業がすべての技術を自前でそろえることは困難 です.アウトソースとして大学の”知”が着目されているのです.
 多くの競争的研究資金で”実用化””新産業の創出””産学連携”などがキーワードとなって いることからも,これらのことがうかがわれます.実際,この流れをうけて大学および多 くの研究者が産学連携に注力しており.知的財産本部やTLO (Technology Licensing Organization,技術移転機関) などの組織整備が進み,共同研究や特許の取得が活発化し ています

■大学の役割とプロダクトイノベーション

 しかしながら,大学の役割はどこにあるのでしようか?
 1960~1970年代,わが国の製造業は.欧米で開発された製品を導入し,その生産手段の 改善をつうじて生産性の大幅な向上を実現するプロセスイノベーションにより高度成長を 達成しました.一方わが国は,それまで存在しなかったまったく新しい製品を生み出すプ ロダクトイノベーションが不得手とされます.実際,遺伝子組み換えからPCR,DNAチップ, RNAiに至るまで,多くの技術において基本特許は欧米に押さえられています.このような 現状で国や企業が大学に求めている”知”とは,プロダクトイノベーションを生み出すため の知であり,企業が不得手とする基礎的な研究がそれにあたるのです.

■研究開発と事業化のギャップ

 ここで留意しなければならないのは,どんなにすばらしい研究成果であっても,それを 利用して事業をおこなうためには多大な投資が必要なことです.そこで必要になるのが特 許です.特許をとることにより,一定期間その技術を独占し,そのあいだに投資を回収す ることが可能になります.この前提があるからこそ,企業はその技術に投資できるのです.
 逆に,どんなに素晴らしい研究成果であっても,特許がなければ投資をすることができ ず,その研究成果はイノベーションに資することなく終わってしまうかもしれないのです.

■バリューチェーンと知財戦略

 それでは,以上の視点から研究成果の価値を最大化させるためには,どのような点に留 意する必要があるでしょうか? これを考えるにはバリューチェーンという視点が必要で, たとえば装薬の場合,基礎研究から前臨床試験,臨床試験と多くの研究開発がなされ,そ れぞれの段階で付加価値が生み出されながら,最終的に商品となり需要者のもとに行きま す.この価値の連鎖をバリューチェーンとよびます.基礎的な研究ほど幅広い分野に応用 でき,一方で,事業化までの時間が長くなり不確実性が増大します.応用研究になると, 適用できる分野が限定されてくる反面,事業化まての時間が短くなり不確実性が減少しま す.これらの基礎研究と応用研究の成果が積み重なることで,それらがつくり出した付加 価値が最終的に需要者へとつながるのです.
 研究成果の価値を最大化させるためには,バリューチェーンの観点からその位置づけを 把握する必要があります.そして限られた資源でより大きな成果を得るためには,戦略的 に研究を行うのと同時に,研究戦略に即した知財戦略を策定・実行し,価値を連鎖させる 必要があるのです.

■おわりに

 研究結果の社会への還元が強く望まれる状況下で,独立行政法人化のもと,大学の研究 者は基礎研究と実用化という一見相反する価値を呈示することが求められています.その 際,研究成果の社会的価値を最大化して社会に伝えるためには,戦略的な知財活動が必要 になるのです.

近藤祐司(弁理士)
E-mail:kondo@@okuyama-ip.co.jp


6月| 博士後期課程での進路変更体験談

  大学院博士後期課程に進学する際(あるいは,修士課程から博士課程に進学する際)に 進路変更を考えている人は少なくないと思う.確かに,博士後期課程から進路を変更すれ ば,博士前期課程で身につけた知識により,少し周りがみえるようになった状態で自分の やりたい研究を選ぶことができる.しかし,内部進学の人に比べて3年のビハインドを背 負うというデメリットは覚悟しなければならない.筆者の個人的な意見ではあるが,よほ どの理由がないかぎり,博士後期課程からの進路変更はすべきでないだろう.ビハインド がある状況で成果を出すのはむずかしいし,学位をとってさえしまえば自分のやりたい研 究ができる場合も多いからである.ここでは,実際に博士後期課程で進路を変更した筆者 の体験を述べたいと思う.

 筆者はもともと,生化学の研究室でウェットな実験をしていた.しかし,博士前期課程 2年の春,研究テーマを決める段になって,当時のボスからバイオインフォマティクスを 少しかじるようなテーマにしないかともちかけられた.そして,バイオインフォマティク スの研究室を紹介され,そこで基礎を教えてもらうことになった.研修先の研究室の指導 教官による丁寧な指導もあって,計算機を使った解析に夢中になった.やがて夏になり, 博士後期課程の願書を提出する時期がきたが,このときはまだ将来,ウェットな実験をす ることも考えていたので,所属していた専攻で願書を提出した.
 ところが,秋口を過ぎたあたりから,ウェットな実験ではなく計算機を使った解析だけ で研究を進めたいと思うようになった.そこで,所属する研究室のボスに”今後も計算機 だけで研究を進めたい”という旨を伝えたところ,”ここは生化学の研究室だから,実験に 戻ってもらいたい.そういう希望ならば外部進学を考えなさい”と言われた.そこで,研 修先の研究室に進学しようと考えたが,すでに願書の提出の締切はすぎており,そこの学 生になるには半年待たねばならないということがわかった.浪人生活を送ったこともなく, 世間でいうところの挫折を知らない筆者にとって,学歴に半年のブランクができるという ことは未知の恐怖であった.
 学位をとるまではウェットな実験をして,そこから先はドライな研究で生きていこうと も考えたが,それでは給料をもらいながら実験手法を一から勉強し直すことになってしま う.結局,計算機を使うことにこだわった筆者は,外部進学することを決心した.当時は, 携帯電話の端末に凝っており,端末に関することならなんにでも答えられる自信があった ので,”半年間,電気屋で携帯電話を売るバイトをしようと思っています”というようなこ とを研修先の指導教官にこぼしたところ,たまたま博士後期課程の2次募集をしており受 入れが可能だというバイオインフォマテクスの研究室を紹介してくれた.その研究室の話 を聞いたところ研究内容がほぼ自分の興味とマッチしたので,そこに入ることに決めた. あの状況でベストに近い研究室に入れたのは奇跡に近いと思っている.ところが,入学し たあとがたいへんであった.当初,プログラミングができなかった筆者はなかなか仕事が はかどらず,1年ほどはまともな解析ができなかった.他人から直接こっぴどく叱られる ことは(あまり)なかったが,つねに自分で自分を責めている状態であった.また,”博 士後期課程でわざわざ進路変更したのは,きみ自身に問題があって前の研究室になじめな かったからではないか”と言われたこともあった.前の研究室の同期と連絡をとって愚痴 をこぼし,1年半ほどは進路変更したことを後悔していた.しかし,時が経つにつれ,あ のときに無理矢理にでも進路を変更したことがいまの自分につながっているという実感が わいてきた.いまではあの決断を後悔してはいない.

 個人的な意見を書いてしまったが,進路変更するかどうかは自身の判断で決めていただ きたい.自分の進路を決定するのは自分しかいないからである.

滝川翔子(東京都・大学院生)
E-mail:skyline32black@@gmail.com


7月| 大学院、“なんとなく”進学していませんか?

インターネットや書店で大学院を案内する資料をよく目にする。とくに、大学院生や有名教授のインタビュー、入試攻略法などが多いようだ。これらの情報は、進学意欲を高め、大学院での生活を実感するのに有効かもしれない。入りたい研究室や就職活動までのビジョンがすでに明確ならばそれもよいだろう。しかし、大学院進学を希望する学生の多くは、実は”なんとなく”進学を決めているのではないだろうか。
有名研究者の自伝やインタビューなどでは、”なんとなく”進学先を選んで成功したという場面もあるだろう。むしろ、明確な将来像をもって進学するほうが少ないかもしれない。しかし、時代は変わりつつある。すでに知っているとは思うが、大学院重点化やポスドク1万人計画といった国の政策により、1990年以降、大学院生とポスドクは急増している。一方で、彼らの就職先が十分に増えなかったため、就職できないまま路頭に迷ってしまう場面が増えるという問題も予想されている。
企業に就職するのであれ、大学に残って安定したポスト(教授など)をめざすのであれ、いずれにせよ厳しい競争社会が待ち受けている。大学院進学をめざすなら、”なんとなく”進学して成功した先人の話に踊らされず、自らのキャリア計画にそった戦略を練る必要がある。そうはいっても、進学におけるさまざまな問題点を網羅することは困難だ。進学に関しては景気のよい話(研究はおもしろいとか、理系は大学院にいくべきとか、名門大学の大学院に進学して学歴をリセットできる、など)があふれていたり、大学院生とポスドクが直面する現実的な問題にフォーカスした情報は決して多くはない。
では、大学院への進路選択では何を考慮すべきなのか。まずは、自らの進学のタイプをはっきりさせることが重要だ。大学院問題に取り組 んでいるNPO法人サイエンス・コミュニケーション(http://scicom.jp/)では、進学におけるさまざまな問題 の発生を防ぐ方法を提案している。そのなかで、大学院への曲型的な進路選択を2つのタイプに分類し、志望するキャリアにあわせて研究室を選ぶことを推奨している。そのひとつは”修士タイプ進学”で、修士課程終了後に企業就職を目指すパターンである。もうひとつは”博士タイプ進学”で、大学研究者などのアカ デミックキャリアをめざすパターンである。修士課程と博士課程は手続きのうえでは連続しているため、一見するとこのように2つのタイプに分ける必要は感じられ ないかもしれない。しかし、企業への就職活動に不向きな研究室(指導教員が就職活動に非協力的、就職 実績が悪い、など)もあれば、研究キャリア形成に不向きな研究室(論文が出てない、博士号取得者が少ない、など)もあり、自分がどちらのタイプなのかをよく考えて研究室とのミスマッチを防ぐ必要がある。
ほかにも考慮すべき問題は多い。学位取得における複雑な事情、就職活動のむずかしさ、研究室独特の人間関係によって生じるアカハラやセクハラ、若者なら誰もが悩む結婚や出産や育児、そして、お金や大学院留学など、大学院生が直面する 問題は多岐にわたる。これらの問題をひとりで抱えてしまわないように、大学院問題について解説された情報が必要だ。幸いにも、ようやくこの種の問題が認知 されるようになり、報道でも余剰博士などの問題が取り上げられるようになってきた。ガイドとなる書籍なども徐々に出てきている(理工系&バイオ系 失敗しない大学院進学ガイド、サイエンス・コミュニケーション+日本評論社編集部 編著、日本評論社、2006など)。しかし、まだ十分とはいいがたい。大学院進学をめざす学生は、希望する進路や自分のおかれた状況を考え、もっと情報を集めてほしい。また、大学院問題を扱う学生の集まり(生化学若い研究者の会2007夏の学校など)にも積極的に参加してほしい。


8月| キャリアサポートからみたバイオ分野の博士号取得者の就職

  近年、博士号を取得しても職を得られない例が増えている。研究人材調査によると、博士号取得者の育成にかかる税金は1人あたり約1億円と試算されている。たとえば国立大学の場合、博士号取得までに国から大学へ運営費交付金が支給され(330万円×9年間)、その後、日本学術振興会から給与と研究費が支給されている(1200万円×6年間)。税金による投資によって高度な教育をうけた博士号取得者が職につかないことは、社会にとっても大きな損失である。専門分野別にみると、とくにバイオ系でこの傾向が顕著である。きびしい就職環境のなか、自力で職を得られない博士号取得者に対して、国、大学、および、民間企業が、キャリアパスの多様性を提案するというかたちでキャリアサポートに力を入れはじめている。売り手市場である工学などの分野に比べ、バイオ分野の就職先は明らかに少ないため、バイオ分野において培った専門性を100%活かすことのできる職業につくことは非常にまれなことであろう。ここでは、狭き門ではあるが、開かれているバイオ分野の企業について紹介する。
 バイオ分野の専門性を活かせる企業の代表として、製薬企業があげられる。現在、国内の製薬企業では基盤研究がどんどん減衰しており、代わりに、臨床開発のできる人材が求められている。これは、世界の製薬企業に遅れをとったわが国の製薬企業が、欧米で新薬開発に成功したバイオベンチャー会社を買収したのち、ひきつづいて自社による臨床開発に注力していることによる。これから大手製薬企業への就職をめざすなら、臨床開発に目をむけるといいだろう。基盤研究がしたい人はバイオベンチャーにいくといい。  
つぎに、このバイオベンチャーについて少し述べよう。21世紀に入ってからハイペースで増加しつづけるバイオベンチャーだが、医薬品、研究支援、農林水産、環境などに分類されるものが大部分を占める。よって、バイオベンチャーにとって大手製薬企業などとの提携は必要不可欠である。しかし残念なことに、国内の大手製薬企業が提携しているバイオベンチャーはほとんど国外のものであり、国内バイオベンチャーの力不足がめだつ。また、欧米に比べわが国のバイオベンチャーへの投資額ははるかに小額であるため、研究開発はどうしても短期間で小規模のものになりがちである。このように、わが国ではバイオベンチャーが育ちにくいような悪循環が起こってしまっている。有能な人材の国外への流出を防ぐためにも、わが国の大手製薬企業には国内バイオベンチャーへの投資増強を考慮してほしいものである。
  博士号取得者にとって、バイオベンチャーに身を投じて基盤研究に従事し、専門性を活かすことはおおきな魅力である。ただし、会社選びに際しては、その現状を正確に把握しておくことも重要であろう。そこで具体的な情報収集方法として、キャリアサポートを行っている企業や大学では、就職を控えたか博士号取得者を対象とするセミナーを開催しているので、これに参加してみてはどうだろうか。この種のセミナーは、対象がバイオ博士号取得者に特化されているので、大手バイオ企業、バイオベンチャーへの就職情報はもちろん、それ以外についても多様性に富んだ就職を具体的に提案しており、それにより不必要な閉塞感からのがれることができるかもしれない。また、あまり知られていないが、海外企業の出資による海外の大学への留学というかたちで、奨学研究員の公募なども紹介していたりする。
博士号取得者、とくにバイオ分野の出身者が自力で希望にそった就職にたどり着くのは非常に困難である。さらに、ポスドクなど給与を得ている研究員であれば、大学院生のように就職活動で何十社も渡り歩くのは不可能であろう。学術セミナーにすら参加することがむずかしい多忙な研究者にとって、キャリアセミナーに参加するなど論外かもしれないが、ぜひとも考慮してみてほしい、博士号を取得したのち、いかに自分のキャリアアップにつなげるか、まわりに流されず、柔軟で自由な発想で望む針路をとってほしい。


9月|  ポスドクとPIの任期制

 人材の流動化、これは研究業界でもすでに常識となった感がある。プロ野球選手のように年俸制を導入し、数年の雇用期間で研究機関をわたり歩いていく。米国で成功したこのモデルは、わが国でも10年ほど前から積極的に取り込まれてきた。しかし、行きすぎた人材の流動化は、研究の現場でさまざまな歪みを生んでいる。
 任期制研究者を数年ごとに一新することを理想とする考えがある。しかし、任期制の研究者には、ポスドクもいれば研究室主宰者(principal investigator ; PI)もいる。すべての任期制研究者を数年ごとに一新することは、はたして望ましいことなのだろうか。任期制が導入された意義と現実の運用のされ方について考えてみたい。
 まず、研究者の任期制を定義する。本稿では、つぎの3段階に分類してみた。第1段階として、若い研究者にはポスドクとよばれるポスト。これは、実際の肩書きは多様であり、ここでは任期制の助手や助教も同義であるとする。3~5年の年限が標準的で、再任されることは少なく、再任されたとしても数年が限度である。第2段階として、PI。任期制のPIは公的研究機関だけでなく、近年は大学でも増えてきた。5年程度の年限があるが、年限延長の審査を受けられる場合が多い。第3段階として、より上級で安定的なポスト。今回はこれについてはふれないので詳細は割愛する。
 ポスドクとPIとでは、業績を評価する尺度が顕著に違う。ポスドクは個人の業績が評価されるのに対し、PIは研究室の業績が評価される。当然のことながら、ポスドクには自分の名前の入った論文業績が求められるが、PIの場合は、研究室に所属する研究員の論文にPIの名前が入らないこともありえて、しかしそれでも、研究室全体のアクティビティーが高ければ、研究室をうまく運営しているとして評価される場合もあるのである。
 任期制のポストを数年で一新することは非常にきびしいことであり、研究業界で生き残ることは至難の業のようにも思える。しかし、ポスドクの場合、武者修行として複数の研究室で学び、また、次世代にもチャンスを広げるという意味においては理にかなっているので、これは任期制の望ましい一面といえるだろう。
 しかし、PIの場合はどうであろうか。PIと研究室のスタッフは運命共同体であるともいえ、PIの年限が延長されないということは、すなわち、研究室の解散を意味する。研究室には、年限半ばのポスドクもいれば、学位論文を準備中の学生もいる。また、任期制の補助スタッフを大勢雇用している研究室もあろうだろう。研究室が解散すれば、彼らも同時に職を失ってしまうのである。実際、研究室が解散(PIの出世にともなう転職や、不祥事、死亡などによる場合もある)して残されたスタッフが路頭に迷う場合もあり、スタッフの再雇用が大きな問題に発展している研究室もあるようだ。
 任期制研究者を数年ごとに一新することが望ましいかどうかは、ポスドクにおいてはともかく、PIにおいては望ましくないと筆者は考える。もちろん、PIに問題があればより優秀な若手に研究室を与えるべきだし、PIにも上級ポジションへの出世の機会が必要だ。したがって、任期制のPIの研究室はつねに問題を孕んでいるといえる。研究室の解散は最終手段であり、仮にそういう事態に陥ったならば、そのPIを選出した組織が責任をもって残されたスタッフの処遇に取り組む必要があるのではないだろうか。
 現在、任期制ポストは増えつづけている。しかし、すべてのポストがきびしい任期制を導入しつつも、ある程度のレベルに到達したらテニュア(終身雇用)に採用するなど、新たな精度が求められているのではないだろうか。また、PIのポストはポスドクに対して絶対的に少ない。ポスドクが他業種へ積極的にスピンオフ(ドロップアウトではなく)できるような転職支援も求められている。


10月| ウェットとドライの望ましい共存関係

近年、バイオインフォマティクス的な手法を用いた解析が比較的メジャーなものとなったことで、ウェットな実験を行う研究者とコンピュータを用いてドライな解析を行う研究者とが共同研究をすることは、さほどめずらしいことではなくなった。しかし今度は、こうした共同研究の機会が増えたことで、ウェット側とドライ側の相互理解の不足から摩擦が生じるという現象がみられるようになった。ここでは、おもにドライ側の研究者からみた、ウェットとドライのあいだの摩擦の現状と、とるべき対応策について述べてみたい。
筆者のみるかぎり、わが国では、ドライ側からウェット側に共同研究をもちかける例はほとんどなく、ウェット側からドライ側にもちかける場合がほとんどである。ウェット側はドライ側に対し、実験で得られた結果を解析して仮説を証明してほしい、実験で得られた結果をデータベース化してほしい、といったことを求める。ドライ側からすれば、ウェットな実験から得られたデータを利用できることは魅力的なので、このような共同研究は喜ばれることが多い。
 ここで共同研究の現場の一例をみてみよう。共同研究がはじまって、データがドライ側に送られてくる。データのやりとりの回数が増えるにつれ、ドライ側の出した解析結果がウェット側の意図したことと異なるという事態が生じる。ウェットな実験を行っている研究者にとっては実験によって得られた結果は絶対であり、「そっちの解析はコンピュータでできるのだから、こっちの結果に合わせてくれよ」とドライ側に申し出る。すると多くの場合、ドライ側が折れる。そこで気をよくしたウェット側は、「ちょっと条件を変えて実験をしてみたんだけれど、解析してくれないか」と、また膨大なデータを送ってくる。するとドライ側には、「少しは統計学の本でも読んでからデータを投げてくれよ!」という言葉にならないため息が生まれる。しかし、ウェットな実験をやっている研究者の多くは、統計学の本を読む時間があったら、もう1回実験をしようと思うのではないだろうか。
 このように、ドライな解析を行っている研究者が”ただのお遣い”になってしまっているケースは非常に多い。そして、”お遣い”でいることをよしとしないドライ側の研究者の多くは、共同研究の相手を選んで制限するという手段をとらざるをえなくなる。結果として、ウェットはウェットどうし、ドライはドライどうしで閉じてしまうことになる。このような状態がつづくなら、ウェット側とドライ側のあいだに真の相互理解は生まれないだろう。
 筆者は、このような問題の根底にはドライ側の主体性欠如があるのではないかと考えている。ドライ側がいつまでもウェット側の出した実験結果に腰掛けているようでは、望ましい共存関係を築くことはできないだろう。ドライ側とウェット側が共存できるかどうかは、ドライ側のがんばりにかかっているのではないかと、自身、ドライ側にいる筆者は考える。ドライな解析から仮説を立て、それをウェットな実験で証明するという、”ドライからウェットへ”の流れがある研究は、近年、概して高い評価を受けているように感じる(このときのウェット側の莫大な実験が評価されているという意見もあるが・・・)。このようなドライ側主体のがんばりがあってはじめて、ウェット側との対等なディスカッションが可能になるのではないだろうか。
最後に、ウェット側の研究者むけに、ウェット側と共同研究をしているドライ側の研究者がこぼした一言を紹介したい。「来月までに有意差を出したいという注文だから、いろいろな検定方法を試したんだよ。でも、厳密には、n回検定をしたら有意水準はn分の1になる。そうしたら優位じゃなくなるんだよねえ・・・」。この皮肉がわからないウェット側の人は、ドライ側の人にぜひ聞いてみてください。そこから新たな相互理解が生まれるかもしれません。


11月| 企業での研究と大学での研究の違い

 筆者はある製薬企業の研究開発部に勤めていますが、企業での研究と大学での研究の違いについて、学生から聞かれることがあります。今回、その違いについてまとめる機会が得られたので、質疑応答のかたちで記したいと思います。なお、ここでの内容がすべての企業にあてはまるとはかぎらないことに注意してください。
Q.企業の研究と大学の研究の大きな違いはなんでしょうか?
A.いちばんの違いはタイムリミットだと思います。企業の研究プロジェクトは、一定期間内に成果が出なければ打ち切られます。成果の内容としても具体的なものが求められます。ですから、企業では製品化する価値があるかどうかはっきりしない研究はとてもむずかしいと思います。ただし、企業のなかでも基礎研究を行なう部門に関しては大学に近いと思います。もうひとつの違いは、研究資源です。企業のほうが人員や研究費、情報量などが豊富だと感じます。

Q.製品開発の締切厳守の厳しさについてくわしく教えてください
A.企業では相対的に有望なプロジェクトが優先されるので、他に有望なプロジェクトが出てきたときには、それまでのプロジェクトが打ち切られることがあります。大学ではプロジェクトが打ち切られることはないかもしれませんが、企業では自分のプロジェクトを中断して他人のプロジェクトの手伝いや新規プロジェクトの立ち上げにまわらなければならないこともあります。これをよいと感じるかどうかは人それぞれですが、ひとりでプロジェクトの行き詰まりに悩むことが少ないのはメリットです。

Q.基礎研究部門は短期間では利益に結びつかない部署だと思いますが、今後も企業のなかで生き残れるのでしょうか
A.私見ですが、ますます厳しくなっていくのではないでしょうか。基礎研究部門に対する他部門の視線を冷たく感じることもあります。結果が出なければベンチャー企業として切り離されるかもしれません。ただし、企業にも独自のターゲットへのこだわりと期待は残っていますので、ここ数年が生き残るチャンスだと思います。

Q.企業では研究者個人の業績はどのように評価されるのか知りたいです。チームワークが重要というのは、個人が埋没してしまうということなのでしょうか?
A.各個人のプロジェクトへの貢献度をリーダーが評価します。大学でのゼミは研究の進捗状況の報告が主だと思いますが、企業ではそれに加えて、評価面談においてプロジェクトの達成度に対する自己採点とその根拠をプレンテーションする必要があります。自己採点に関する評価基準は明示されているのですが、評価の厳しさはリーダーによって異なります。研究の世界では自分の主張の正しさを実験結果で証明することができるので、個人が埋没することはないと思います。

Q.企業で求められている能力は何ですか?その能力を大学で身につけることはできますか?
A.個人の研究能力が求められるのは当然ですが、企業では、Win-Winの関係を築く能力、つまり、ほかのメンバーへの貢献、情報の共有化もかなり求められると思います。どんなに優秀な研究者でも、ひとりで出せる成果には限りがあります。とくに、スピードをも求めた場合には他社との強調が不可欠です。他者と強調する際は、他者の強みに頼るだけではなく、自分の強みも提供する必要があります。自分の強みをもつためには、自分の専門分野に関する知識やスキルをつねに更新しなくてはいけません。これらの能力は大学でも身につけることができると思います。たとえば、外部の研究機関と共同で論文を作成する際などには、このような能力が求められると思います。ただ、企業で求められる能力は企業に入ってからでも身につけることができるので、準備にあせる必要はないのではないでしょうか。

簡単な質疑応答でしたが、そろそろ就職活動がはじまる時期ですので、企業の研究開発に興味のある方の参考になれば幸いです。


12月| 博士号を取得したら研究職に就かないといけないのか?

 博士課程を修了した人やポスドクの人気を終えた人の就職先不足がマスコミで大きく報道されるようになった。この背景には、博士号取得者の就職問題が深刻化しており、その根本的な解決のめどがいまだ立っていないことがある。しかし筆者は、一連の報道をみていると違和感がある。それは、ほとんどの報道が”博士号取得者の進路は、国の研究機関や大手メーカーの研究職しかない”という前提のもとで話を進めているように感じられることである。報道では研究職につけない博士号取得者の存在がくり返し取り上げられているが、このことからは、研究職のポストが少ないことはいえても、それ以外の就職先がないことをいえるわけではない。案外、博士号取得者には研究職以外の就職先があるのではないだろうか。
 最近では、博士号取得後に研究以外のビジネスで活躍している人たちをマスコミやWeb上でみかけるようになった。また、大学院生やポスドクを対象にした研究職以外の仕事を紹介するサービス(たとえば、株式会社DFS http://www.d-f-s.biz/, 名古屋大学ノン・リサーチ キャリアパス支援事業http://www.career-path.jp/)が生まれていることからも、博士号取得後に研究職以外の仕事に就くという選択肢の存在することがわかる。では、これまでこれらの進路を考慮することが少なかったのはなぜか。その原因を探り、簡単に対策を考えてみたい。
 まず、研究職以外の道に進むという選択肢に気づけない人が多いという原因をあげたい。というのも、これまで博士号取得者が研究職以外の仕事を選ぶケースはまれで、先輩などから進路情報を得られる機会も少なかったからだ。しかし現在では、研究職以外の分野で活躍する博士号取得者はだんだんと増えているし、研究職以外の選択肢に関する情報もWebなどで得られるようになった。新たな活躍の場をみつける絶好のチャンス到来ではないか。
 つぎに、研究職以外の仕事に就くにあたり、大学院で学んだことが無駄になるという抵抗感も原因になっていると考えられる。しかし、筆者はそうは思わない。博士号取得の過程で培ってきた、論理的な思考力や情報収集能力、社会の役に立ちたいという情熱を生かす機会は、研究室の外にもあるはずだ。ビジネスの現場で頭を使わないといけない場面、たとえば、利益を上げるための新しいしくみの開発や、顧客との信頼関係を保つための工夫など、枚挙にいとまがない。そんなときに能力を発揮して結果を出せば、研究と同様に知的好奇心を満足させられるのではないか。博士号取得後、技術営業、ベンチャキャピタリスと、経営コンサルタントなどで能力を発揮している人をよく目にするようになったが、このほかの分野にも力を発揮できる場所は存在すると思われる。
 そのほかの原因として、なんとしても研究職に就いて活躍したいという理想や、研究職に就けなかった者は”負け組”であるという偏見もあるのではないだろうか。しかし、研究職以外はつまらない仕事ばかり、ということは決してない。研究と同様に知的好奇心を刺激する仕事、頭の回転を猛烈に必要とする仕事、世の中の発展に寄与する仕事は、確実に存在する。偏見をもつ人たちこそ、自分の能力を生かせる新しい活躍の場があることに気づいてほしい。あなたの指導教員や先輩の通った道を、あなたもなぞらなければならないということはないのだから。
 博士号取得者が研究職以外の仕事をみつけられる環境は徐々に整ってきている。もちろん、企業に応募すればすぐに採用されるほど就職活動は甘くない。しかし、博士号取得者に活躍の場を与える企業が存在するのも事実である。進路の変更は年が若いほどスムーズに行える。とくに博士課程の大学院生や若いポスドクは、この選択肢を真剣に検討してみてはどうだろうか。