2002年
1月| データで見る大学院生の健康問題(1) 院生の健康意識~院調データから~
研究者稼業も身体が資本。しかし、本誌読者に少なくなかろう生命科学研究者は、平素身体を酷使しがちであろう。その実態や如何に? と言うわけで、今回からの連載では研究者の健康や、ケガ・病気について考えてみたい。材料集めには腐心したが、試みに大学院生のデータを参照する。データは、全国大学生協連合会のご厚意で使わせて戴いた。第1回の本稿では、’98年10月実施の第3回『大学院生の生活に関する実態調査』(以下、「院調」)の結果から、健康に関する大学院生の意識について考えたい。
院調の母集団は全国の大学院生で、人文社会系、自然科学系、医歯薬系、その他の計1951人だが、本シリーズの考察では、本誌読者層を想定し、自然科学系及び医歯薬系の1237人のデータに基づくことにする。うち1017人が男性、210人が女性である。 まずは、院生自身が平素どれだけ健康に気を配っているかについて、見てみよう。
『健康状態に気がかりな点があるか』の問に77.5%の院生が「ある」と答えている。その具体的内容は、多い順に運動不足(41.9%)、不規則な生活(29.9%)、睡眠不足(19.7%)、疲れやすい(17.4%)、等である。案外多いのが視力低下(11.8%)と栄養不足(11.3%)である。
一方で、健康維持の努力はどうだろうか。『何らかの努力をしているか』の問に「している」と答えた院生の割合は55.1%にとどまる。その具体的内容は、スポーツ(25.9%)、食生活(17.1%)、睡眠時間(16.9%)、気分転換(12.4%)、規則的な生活(10.0%)と続く。 こうしてみると、健康面に対する認識は割と高いが、対策を実行している者はさほど多くはないという傾向が浮かび上がる。
健康管理の基本は規則正しい食事と適度な運動である。その2点に関してはどうだろうか。 先に、食事について。1ヶ月あたりの食費の分布を見てみよう。最頻値は2.8万~3.1万円(20.2%)で、自宅生と自宅外生で比較すると、ピークはやはり後者の方が値が大きく、自宅生で1.9万~2.2万円、自宅外生で2.8万~3.1万円である。他方で、5万円以上費やしている院生も16.9%にのぼる。1ヶ月の収入総額の平均値が約12万7000円であるから、エンゲル係数は高そうである。
食事の回数や摂取状況はどうだろうか。アンケート記入前日の1日の生活時間を問う設問から調べてみると、回数では1回(13.6%)、2回(45.0%)と約6割が2回以下である。どの食事を抜いているかとなると、多くの読者のお察しであろう通り、朝食抜きが最も多い(69.7%)。朝昼兼用でさえ、87.6%の院生が摂取していない。朝食を摂取しているのが29.5%であるから、少なく見積もっても、約4割の院生は午前中何も口にしないことになる。そうかと思うと、実は夕食を摂らない院生も案外多く、実に42.7%にのぼる。推測の域を出ないが、朝も夜も食事をしない院生が、いたりするのだろうか。そうでないにしろ、昼にドカ食いする院生はきっと多いであろう。疲れやすさや栄養不足を懸念する院生の多さと、健康対策として食生活の面で努力を実践している院生の割合が低いことの両方に、よく合致するデータと言えよう。
次に、運動に関して。金銭面で見ると、教養娯楽費(交際費、新聞、レジャーなど)の平均値が約3万7900円である。実際にスポーツのために使われるのがその一部であろうことと、上記の健康維持の努力としてスポーツを行っている者の割合から推測するに、ごくたまにしか運動をしない、若しくは平素全く運動をしない院生がさぞや多いことと思われる。自身の運動不足を気がかりに思う院生の多さからして、やはり「分かっちゃいるけど」という院生は少なくないであろう。勿論、この院調のデータだけでは不足しており、強い主張は出来ないが、連載第5回で院生のスポーツ事故に関して取り上げ、運動の面に関して改めて考える予定である。 次回は、院生の多忙な日常生活に迫り、健康面のリスクについて考える。
ご意見、ご感想はcuvette@seikawakate.comまでお送りください。
(生化若手PNEキュベット委員会)
2月| データで見る大学院生の健康問題(2) 実際の生活は?~院調データから~
前回は、問題意識は高いが、対策を実行できないという院生の健康意識の傾向を示した。今回は、それを裏打ちする院生の日常生活の実態に迫る。前回に引き続き’98年10月実施の第3回『大学院生の生活に関する実態調査』の結果を使用し、自然科学系・医歯薬系の院生計1,237人のデータに基づく。
やはり「分かっちゃいるけど」健康に気を配る余裕までは無い。そんな院生は多そうだ。『日常生活で気になることは何か』を問うた結果によると、上位は研究関連(65.8%)、将来への展望(54.1%)、お金のこと(37.3%)等が占め、健康を選んだ院生はわずか13.5%である。
では、その大学院生の普段の生活はどの様なものなのか。データで見てみよう。
起床時間の分布を見ると、自宅生で7時台が28.7%、8時台が25.4%で、9時台が14.3%であり、自宅外生では7時台が16.0%、8時台が27.0%、9時台が25.8%と言う具合である。他方、就寝時間をみると、その日のうちに寝る者は全院生の8.2%にとどまる。分布で見ると、自宅生で24時台が21.0%、25時台が27.9%、26時台が19.4%であり、自宅外生では24時台が17.9%、25時台が23.6%で、26時台が25.6%となる。やや睡眠不足気味と見てよさそうだが、概ね、自宅外生の方が1時間ほど遅く寝て遅く起きるようだ。これは、通学時間の影響が一因にありそうで、自宅生における最頻値は60~70分(自宅生の15.4%)、次いで90~100分(同14.0%)であり、一方、自宅外生に関しては10分未満(自宅外生の21.9%)、10~15分(同30.2%)、15~20分(同18.9%)である。
起きている間の活動は、主に研究であるはずだ。どのくらい所属大学で活動しているのかを見てみよう。
月毎の学外での作業日数を問うた結果によると、54.8%の院生はほぼ大学内だけで研究作業を済ませている。しかし、14.8%の院生は、1ヶ月当たり16日以上も学外で作業している。他大学や研究所への出向、又はフィールドでの資料採集のためであろうか。平日で登校しなかった日数は、月毎0日が52.9%、1日が10.5%、2日が9.2%と、7割以上の院生が“ほぼ無欠勤”である。又、土曜日や日曜・祝日に全く登校していない院生の割合はそれぞれ18.9%、27.0%である。更に、徹夜した日数については、月毎1日が10.4%、2日が10.0%、3日以上が合計で20.3%である。これほどの日数が全て研究に費やされているならば、かなりの入れ込みようと言ってよかろう。
他方、研究以外の活動内容はどうか。アルバイトの日数を見ると、月毎0日が47.1%、4日が11.6%、8日が7.3%である。週に1~2回が精々と言ったところか。但し、月に10日以上アルバイトをしている院生も13.7%いる。ここまで来ると、かなりの負担ではなかろうか。
以上からして、多忙な院生の日常が垣間見えるが、院生自身は何に忙しさを感じているのだろうか。『忙しかった理由は何か』を問うた結果は、学会が25.2%、論文作成が20.3%、実験が40.0%、アルバイトが13.6%といった具合だが、注目すべきか否か、雑用を選んだ割合が20.2%である。博士課程に限ると、その割合は論文で37.6%、雑用で28.5%に跳ね上がる。院生が本来の研究及び学業のみで忙しいというわけではないのは、間違いなさそうだ。加えて、博士課程になって増大する負担の中身が、本来の学業(論文執筆)のみならず雑用も…というのも見えてくる。研究室内での責任範囲の増加が要因だったりするのだろうか。
時間的にも多忙で、肉体的・精神的なストレスを受けつつ奮闘している院生の姿が、少しは浮かび上がってきただろうか。次回は、大学生協の一事業である学生総合共済の給付事情も併用して、そんな院生の抱える健康問題について概観する。
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(生化若手PNEキュベット委員会)
3月| データで見る大学院生の健康問題(3) 実際の健康面は~院調・共済データから~
前回までの2回で、院生の日常生活と健康認識に関して、その厳しい実態を示してきた。多忙に加え運動不足で、自覚はあっても食事は不規則。肉体的精神的に圧迫され、休養も睡眠も不足気味。これほどの条件下では、身体に何らかの異常を来さない方が不思議とも思える。連載第3回の今回からは、院調(’98年実施の第3回『院生の生活に関する実態調査』)のデータに加え、大学生協連の一事業である学生総合共済の共済金給付状況のデータも併用して、院生の病気やケガについて考察していく。
まず、院生の健康状態が実際のところどうであるかを院調データから見てみよう。前回までと同様に、自然科学系・医歯薬系の院生1,227人のデータに基づく。 アンケート回答日の健康状態を問う設問で、健康状態に「不安がある」と答えた者が25.4%、「良くない」若しくは「治療中」と答えた者が7.7%いる。14人に1人が病人又は怪我人で、4人に1人はその予備軍ということか。また、この半年間の入院や通院を問う設問で、22.3%の院生が「入通院の経験あり」と答えており、5人に1人強といったところである。
では、その病気やケガの具体的中身はどうか。今回から、学生総合共済の給付事情を併用する。このデータも全国大学生協連合会共済センターのご厚意で使わせていただいた。データ源は、給付を受けた院生のアンケートにある’99年度と2000年度の個々の事例と過去5年分の給付状況概要であり、人文社会系の院生も含む。対象とする院生の総数は、都合により正確には算出できなかったが、合計で約27,000人である。
まずは、給付を受けた件数を見てみよう。当然ながら、事故や病気の発生件数とは一致せず、実際の発生状況の評価としては過少である。それでも、’99年度で、研究中の事故が36件、レジャー旅行や研究旅行などの旅行中の事故が16件、学内での事故が18件、暴行被害のケガが6件、酒がらみが2件、アルバイト中のケガが6件、その他日常でのケガが30件、交通事故が合計で111件、スポーツ事故が合計で91件、病気入院が合計で159件である。2000年度については、研究中の事故が28件、旅行中の事故が8件、学内での事故が26件、暴行被害のケガが1件、酒がらみが1件、アルバイト中のケガが5件、その他日常でのケガが33件、交通事故が合計で140件、スポーツ事故が合計で108件、病気入院が合計で224件である。大雑把に見て、毎年100~200人に1人の割合でケガ又は病気をしていることになる。
院生のナマの声を含めた詳しい考察は次回以降に行うとして、ここでは、上記各分類での事例に関するおおよその傾向を眺めておきたい。
研究中の事故では、試薬の扱いなど実験中の事故、標本作製や木材・金属加工などの工作中の事故が多く、ガラス器具の破損による事故も見られる。学内での事故は、学内を移動中に転倒したり急病に見舞われたりする場合が圧倒的に多く、それらの事例の中には学内の設備に問題があるケースも少なくないようだ。交通事故で多いのは、第1にバイク、第2に自転車であり、いずれも通学手段によく使われていると思われる。通学中の事故も、珍しくない。スポーツ事故で多いのは、スキーやスノーボードなど冬期のスポーツで、サッカーやバスケットボールなどの球技(で、研究室対抗などでよく行われていると思われる種目)が続いている。
病気入院で多いのは、消化器系の疾患で、中でも胃腸に関するものが最も多い。ついで呼吸器系の疾患が多く、中でも自然気胸と喘息・気管支炎が目立つ。精神疾患や脳・神経系の疾患も比較的多い。関節や筋肉に関する病気では、椎間板ヘルニアが多い。入院経験をした院生には、自身の不摂生や過労、ストレスを認識している者が比較的多い。中には、人生を左右するような重い病気と闘っている院生もいて、給付事例を見ていていたたまれなくなってきた。
次回は、研究活動と関係すると思われる共済給付事例について、詳しく考える。
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(生化若手PNEキュベット委員会)
4月| データで見る大学院生の健康問題(4) 研究活動に伴うケガや病気~共済データから~
前回は、大学生協の助け合い事業である学生総合共済の共済金給付に関する概況を見た。連載第2回までには、厳しい生活条件下で院生の負う健康面のリスクを見た。今回と次回に分けて、院生の共済金給付事例のうち、代表的と思われるものを事例研究的に考察する。今回は、研究活動に関連すると思われるケガや病気に関して、例を挙げて考える。
まず、何と言っても研究中の事故によるケガである。典型的な状況は、工作中や標本作製中における不注意や不意の誤動作、実験器具の破損(ガラス器具の破損が多い)、器具運搬中の事故、試薬の取扱いに関する事故(試薬加熱中の爆発、ホルマリンが目に入ったなど)、オートクレーブの際の火傷、フィールドワーク中の転倒・転落である。院生の声を拾ってみると、「欠けたビーカを使用して、今回の結果になった」「10%ホルマリン作成中、ビーカに顔を近づけすぎた」「ESR のサンプル管が簡単に割れるとは知らなかった」といった回避可能な不注意がある一方で、「先に実験をした者がオートクレーブの後片づけをせず、それを片付けようとして熱湯で火傷。容器にもひび割れがあったらしい」といった少々不運な突発的事故もある。安全に留意して研究作業を進めるのは基本的なことだが、安全対策と同時に危険が発生したときの救急体制も完備している必要がある。
学内での移動中にケガをしたり、急病にみまわれたりする例も多い。院生の声には、「研究室の引っ越しで荷物が山積し、廊下が狭く、そこを走っていて転倒」という不注意の自覚もあるが、「出入り口が21時で閉鎖されるため、大学の研究室の出入りを窓からせざるを得ず、着地時にケガをした。同じ方法で出入りする学生も多く、似た事故が起こりやすい」「学内の石畳を歩行中つまづき、別のケガで借りていた松葉杖で肋骨を骨折」「夜間、階段から転落。夜は、廊下や階段の照明が消され危険だ」など学内設備の不備を指摘する声もある。他方、「遅くまで学校に残っていて集中力が途切れ、油断して階段から転落」「過密スケジュールで実験をしていたためか、階段昇降中に腰に激痛が走った」という、連載第3回までに示した院生の厳しい日常生活からして理解しやすい事例もある。
病気に関しては、女性特有の疾患や悪性新生物などの例も散見されるが、院生の日常生活から来る過労やストレスとの関連が密接であろう例が多い。件数として最も多いのは消化器系の病気、風邪などの伝染病であり、消化器疾患が’99年で病気入院159件中42件、’00年で224件中53件であり、伝染病は’99年が12件、’00年が20件である。’00年度について、病気入院で受給した院生自身の健康に関する認識を見よう。重複を許して数えているが、不規則な生活ぶりに自覚があった者が42人、過労の自覚があった者が40人、ストレスや不安を自覚していた者が28人だった。
消化器系疾患とともに、ストレスや過労で陥りやすい疾患に精神疾患がある。精神疾患で病気入院の給付を受けた院生は、’99年で4人、’00年で12人である。一見少なそうだが、「1日18時間の労働を余儀なくされ、それが5ヶ月続いた。外部出向していて、睡眠不足と過労で3ヶ月目頃から吐血等を反復するも、それでも休ませてもらえなかった(急性胃粘膜症及び混合性結合組織病で入院)」といった院生の声があることを考えると、実際の患者数は潜在的にはもっと多いかも知れない。実際、「病気入院して、改めて自分の過労ぶりが分かった」という趣旨の声が多く寄せられている。
そして、過労やストレスとの関連で見逃せないのは自殺である。正確に院生のみの数字ではないが、加入5年目以降の学生(大部分は院生)の自殺者数は’90年で3人、’91年9人、’92年12人、’93年6人、’94年9人、’95年14人、’96年13人、’97年16人、’98年11人、’99年28人、’00年28人とここ10年間で漸増傾向にある。’99年以降の急増は目に余る。
次回は、研究生活を離れた日常やレジャーにおける、院生のケガや病気について考える。
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(生化若手PNEキュベット委員会)
5月| データで見る大学院生の健康問題(5) 研究活動を離れたときのケガや病気~共済データから~
前回は、大学生協の助け合い事業である学生総合共済の給付事例のうち、研究活動に関連すると思われる給付事例について触れた。連載第3回までに、自覚しつつも不摂生しがちな院生の日常生活の実態を示してきた。前回で、研究に関連するケガや病気の全てをカバーしたわけではないが、研究中の不注意や、過労及びストレス、余裕の無さから来るケガや病気について、その実態の一端は明らかに出来たと思う。今回は、研究生活と離れた日常生活やスポーツなどのレジャーにおけるケガや病気について考える。
まずは、交通事故から述べる。これは院生特有というわけではないが、院生の日常生活に切っても切れない側面として、バイク事故と自転車事故を切り出して考えてみたい。共済金給付の条件が母集団の偏りの原因になっている可能性はあるが、バイク事故(’99年59件、’00年68件)にしても自転車事故(’99年25件、’00年38件)にしても、相手の不注意の占める割合が大きい。一方で、体調不良や整備不良に直接間接に言及している院生の声も散見される。事故に遭って研究に支障を生じたという院生の声も、珍しくない。バイクも自転車も、院生の通学手段として珍しいものではないだけに、通学の安全確保は切実な問題である。その危険因子として、院生の日常的な多忙さは大なり小なり効いているのではなかろうか。
次に、連載第1回で予告したスポーツ事故を取り上げる。件数として多いのは、スキーやスノーボードなどの冬季の競技(’99年32件、’00年33件)、サッカー(’99年19件、’00年15件)、バスケットボール(’99年7件、’00年11件)、野球・ソフトボール(’99年10件、’00年9件)で、他にも各種武道、テニス、バレーボール、ラグビーなど多様な受給例があるが、それぞれのスポーツにおける例数でここまで多いものはない。
スポーツ事故で受給した院生の声で目立つのは、自分の体力への過信と準備運動不足である。’00年度についてデータを見ると、スポーツ事故総数108件のうち、体力過信に言及していた者が23人、準備運動不足に言及していた者が19人である。冬期のスポーツに限っても、’00年の総数33件中10件において、体力過信が言及されている。連載第1回において、’98年10月実施の第3回「院生の生活に関する実態調査」のデータから、平素の健康維持の努力の手段として「スポーツ」をあげている院生の割合がほぼ4人に1人(25.9%)であることを見た。他方、健康面での気がかりに「運動不足」をあげる院生の割合は、5人に2人強(41.9%)であった。こうしてみると、慣れない運動を急にやって、無理をしてケガをするというリスクは決して低くはないであろうと考えられる。
その他の日常生活での事故についても考えてみよう。典型的には、家庭での日常生活におけるケガ(’99年16件、’00年9件)や、町中での移動中のケガ(’99年10件、’00年9件)の占める割合が多い。状況としては、「町中や駅の階段などを歩行中に転倒」等の状況によっては不可避な事例もあるが、「自炊していて、包丁で手を切った」、「自宅1階のベランダで、洗濯物を干していて転落」等の不注意や一瞬の油断による事例も散見される。
連載第5回の今回と前回第4回とで小括する。研究作業中のケガとしては、回避可能なものも少なくないが、事故発生後の対策が遅れていたら重大な事態になりかねない例もある。研究のストレスや過労、日頃の運動不足が、精神疾患や内臓疾患など種々の病気や、急な運動によるケガの危険因子になっている。学内の設備の不備や欠陥が、ケガの原因となる場合もあるようだ。中には、不可避な状況下の事故によるケガや予測不可能な重病と闘う院生や、自殺に追い込まれるほど深刻な状況の下にある院生もいるが、彼らへの支援は十分行われているのか、また行われていたか。
本連載最終回の次回は、これまでの連載を振り返り、まとめを行う。
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(生化若手PNEキュベット委員会)
6月| データで見る大学院生の健康問題(6) 総括
研究者稼業も身体が資本。本誌読者に多いであろう生命科学分野の研究者にとって、個々の研究テーマは、我々人間の健康と何らかの関係を持つものが多かろう。医者の不養生ではないが、そんな研究者自身の健康はいかなるものか。そうした問題意識と共に半年にわたり連載を続けてきたが、最終回の今回は、これまでの内容を総括し、反省点も含めてこれまで触れられなかったことについても少々議論する。
まず、これまでの連載を総括しよう。第1回では、’98年10月実施の第3回『大学院生の生活に関する実態調査』の結果から、健康に関する院生の意識について触れ、健康面に対する認識はわりと高いが、対策を実行している者はさほど多くないという傾向を示した。第2回では、それを裏打ちする院生の日常生活の実態に迫り、その多忙さを垣間見た。多忙に加え運動不足で、自覚はあっても食事は不規則。肉体的精神的に圧迫され、休養も睡眠も不足気味。そんな院生のケガや病気の実態に迫るべく、第3回以降は、大学生協連の一事業である学生総合共済の給付金支給状況や給付事例に関するデータ(以下「共済データ」)も併用して考察した。実態としては、ほぼ毎年100~200人に1人の割合でケガ又は病気をしていること、その中には、何らかの不注意が原因である場合もあるが、内臓疾患や精神疾患、急な運動によるケガなど、日頃のストレスや過労、運動不足が原因だと考えられる事例が多いことをみた。その一方、機器の誤動作や取扱いミス、試薬の扱いのミスなど研究中の事故も見逃せなかった。京都大学の院生のフィールドワーク中の転落事故など、報道をにぎわせた死亡事故も記憶に新しいが、他方で精神的に圧迫されてか、自殺者の数も年々増加傾向にあることもみた。
次いで、本連載の反省点を述べたい。数値を多用して議論を進めているのに、誌面の制約で数値を視覚的に表現出来ず、分かりにくいところがあったと思う。また、データ不足で歯切れの悪い主張をせざるを得ない箇所もあった。更に突っ込んだ議論をするには、もっと幅広くデータを集めなければならないが、それは今後の課題としたい。
しかしそれでも、大学院生をはじめ研究者の健康事情を包括的に取り上げ、積極的に公にした試みは、過去に稀であったと思う。他のデータ源についても、可能な限り調べてみた。院生の罹患状況が、他業種の同世代に比してどうかという点を少々見てみよう。厚生統計協会『国民衛生の動向』(以下「厚労省データ」)によれば、’99年のデータで25~34歳で何らかの内臓疾患で入院した者の割合が10万人あたり約45人である。連載第4回で、共済データによれば’99年に消化器系疾患で入院した院生が42人(10万人あたり約155人)であることに言及した。自殺者数に関しては、厚労省データでは25~34歳で10万人あたり約20人であり、共済データにある’99年の院生自殺者数28人(正確には院生の自殺者と考えられる人数)は、換算でこれを大きく上回る(10万人あたり約104人)。
そもそも、研究というのは孤独な営みであって、ある程度の精神的な強さは研究遂行上不可欠ではある。しかし、その一方で孤独だからこそ研究者宛に出来る支援はしなければならないだろう。ましてや半人前の院生が精神的肉体的に常に追い込まれ続けることがあったとしたら、それは尋常なことではあるまい。かくいう筆者自身も、指導教官にこそ恵まれてきたが、長期の病気休学を強いられた経験がある。それだけに、研究の内容そのものとは全く別のところで苦しむ人がいるのは、耐え難く心苦しい。本連載が、少しでも院生の苦労が研究そのものに本質的なものだけになるきっかけとなれば幸甚である。
最後に、データをご恵与いただいた全国大学生協連合会経営開発チーム及び共済事業部の皆様に、心から御礼申し上げて、連載の筆を置きたい。次回からの新連載にも、ご期待下さい。
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(生化若手PNEキュベット委員会)
7月| 夏は普段の研究とひと味違う体験を
この号が書店に並ぶ頃はまだ梅雨の真っ最中でしょうが、長雨の季節が終わればいよいよ夏です。そこで今回のキュベットはサマースクール及びサマーコースについての話題です。またこのページを運営しております、生化若手の会主催の夏の学校に関するお知らせも兼ねさせて頂きます。
夏休みには(大学院生にはそれほど長期の休みは望むべくもないかもしれませんが…)普段の仕事の手を休めて、旅行等でリフレッシュするのはもちろんですが、それ以外にも普段はあまりしないような勉強をして新たな領域を開拓する、自分自身を磨く機会でもあります。実験ばかりしていると考え付かないようなふとしたひらめきが研究を大きく展開させてくれることもあります。
サマースクール/コースはそういった機会を提供してくれるものの一つでしょう。やはりこの時期はまとまった時間がとりやすいためか、様々な種類のサマースクール/コースと名の付くものが開講されています。バイオ系に限ってすぐに思い付くものだけ挙げてみても、各大学付属臨海実験所の公開臨海実習、基礎生物学研究所、生理学研究所、理化学研究所脳科学総合研究センター(BSI)などの研究機関のコース。そして学会の後援を受けているものでは、生化若手、生物物理、農芸化学、生物工学、生理学など様々な分野で『若手の会』主催の夏の学校が開催されており、これらをあわせると結構な数になります
さてこうしたサマースクール/コースの内容を見てみると、おおざっぱに言って2通りのタイプがありそうです。一つは主に講演/シンポジウム等を比較的大きな規模で複数行うものであり、各学会の後援を受けた若手の会の夏の学校の多くがこの形式です。もう一つは比較的長期間(5日前後から長いもので一ヶ月程度)に渡って実習を行うケースです。研究所主催のものは多くがそうであり、基礎生物学研究所、生理学研究所、理研BSIのコースや各大学付属臨海実験所の公開臨海実習などはこちらである場合が多いようです。また、これらのコースの多くがシンポジウム等を併せて行っています。
では果たしてどちらのタイプのサマーコースがいいのでしょうか?自分が求めているものが何で、そしてそれぞれのコースから何が得られるかで答えは変わってくるでしょう。
必ずしもすべてにあてはまるわけではありませんが、一般的に言って、実習タイプの場合は自分の興味に即した実験手法等について集中的な知識と体験を得ることができるでしょう。自分の研究に新しい技術を導入したい場合には大いに助けになるでしょうし、研究対象・興味を同じくする人達とのディスカッションは非常に有意義に違いありません。一方、講演/勉強会タイプの場合は実習形式よりも多くの参加者が集まる場合が多く、色々な人と時間をかけてディスカッションしやすい環境であることが多いようです。主催団体によってはかなり幅広い分野から参加者が集まっていることもあり、学会のような異分野交流の場でもあります。こちらの場合は前者のような比較的少人数の集団がコアとなって一緒に勉強すると言うよりは、多人数であれこれ議論したり人脈を作ったりできる点にアドバンテージがあるでしょう。
さて、この夏我々生化若手の会も夏の学校を開催致します。本年で第42回を数える生化若手夏の学校は典型的な講演/勉強会タイプのサマースクールで、生化学およびその関連分野の大学院生を中心とした若手研究者(の卵を含む)が人脈を広げ、ネットワークを作り、そして自分の専門分野だけに捕われず幅広い視野を持って発展的な研究ができることを目標に、シンポジウムや研究交流を行います。生化若手の会では、共に未来の研究について語り合える皆さんの参加を心よりお待ちしております。詳しくはホームページ(http://www.seikawakate.com)を御覧下さい。
(生化学若い研究者の会 夏の学校事務局)
8月| 大学院生の経済問題(1) 日本育英会廃止の衝撃
大学院生への経済支援を充実化する… ここ数年来、政府が科学技術を重視すると公言してから、何度となく登場している言葉である。日本の経済回復の柱は科学技術研究であるから、将来の科学技術を担う大学院生を経済面でサポートするのは当然というわけである。しかし、その言葉とは裏腹に、大学院生の収入を支えつづけてきた日本育英会は独立行政法人に移管され、研究職に就いた場合の返還免除制度は廃止される。他方、科学技術研究補助金(科研費)から大学院生に給与が支給できる制度が新設されたが、普及度はまだ低く、制度自体の認知度も高くないように思われる。このままでは、大学院生への経済支援は充実化どころか縮小と言わざるを得ない。
今回本欄では、三回に渡り大学院生を取り巻く経済事情をレポートする。第一回目である今月は、日本育英会廃止をめぐる事情について、第二回目では今まで焦点が当てられることの少なかった学費免除について、第三回目では、科研費から支給される大学院生への給与の現状について報告する。
●米百俵と日本育英会廃止
米百俵?言わずと知れた幕末の故事である。現状は苦しくても未来への投資は怠るべきでないという内容のこの故事が広く知られるようになったのは、2001年5月の首相演説がきっかけである。実際これと前後した時期に、財務大臣が大学院生の奨学金は給費制にすると発言したこともあり、国はようやく重い腰をあげたのだと、大学院生の間に希望が広がった。
ところが、現実は反対の方向に向かい始めた。日本育英会が廃止されることになったのである。特殊法人である日本育英会は、多額の未回収の奨学金をかかえる非効率な組織であるとして、廃止の対象になったのである。議論の結果、学生向けの奨学金事業は新設される独立行政法人に引き継がれ存続されることになったが、無利子奨学金は減額、研究職に就いた場合の返還免除制度はなくなる。2002年5月に、日本育英会に変わる新たな独立行政法人(内外学生センター、日本国際教育協会、国際学友会、関西国際学友会の4財団法人と統合される)業務のあり方を検討するための有識者による会議が発足し、議論が進められているが、有利子奨学金も民間に任せるべきという意見も根強く、今後の動向は不透明である(2002年5月現在)。
有識者会議はより幅広く優秀な人材を募る制度を作ることによって返還免除制度廃止の代わりにしたいと述べているが、聞こえのよい言葉が先行していっこうに具体像が見えてこない。米百俵の精神が本物ならば、こちらの方が返還免除制度廃止の前に具体化されるべきかと思うが、そうではないということは、米百俵はリップサービスでしかなかったということなのだろうか。
●借金をしなければ研究者になれない
日本育英会廃止以前から、日本の大学院生への経済支援は非常に貧弱であると言われつづけてきた。月額およそ十万円程度の奨学金を日本育英会から貸与されると、たとえば修士博士の五年間貸与されたとして、貸与総額は六百万円を越える。国立大学でも五十万円はする授業料や生活費を考えると、奨学金だけでやりくりするのは苦しく、多くの学生が研究時間を削ってアルバイトをするか親の援助に頼っている。学位取得後の返還が重くのしかかる例もあり、奨学金を借りたことを後悔する声も聞こえる。
年間百万円の研究費と月二十万円の生活費が支給される「学振」こと、日本学術振興会特別研究員になれるか否かで、大学院生活は大きく変わってくる。当然多くの大学院生が「学振」採用を目指すが、採択率は申請者の10%強、博士課程の大学院生の5%しか「学振」を取得できていない。
このため、返還免除になる職に就くことが学位取得後の大きな目標となる。だが、返還免除制度は廃止される。卒業と同時に六百万円の借金を抱えなければならない職業が、魅力的な職業と言えるのだろうか。
●希望はあるのか
こうした現状に当事者である若手研究者も声を上げた。たとえば生化学若い研究者の会の有志が作る「研究問題メーリングリスト」(http://researchml.org/)は、Nature 1) をはじめ様々なメディアに大学院生の経済問題を訴えた。しかし、状況はますます悪化するばかりという印象を受ける。次回では、大学によって基準がまちまちであり、実態があまり知られていない学費免除制度についてレポートする。
1)Nature 414, 485 (2001)
(生化若手 PNE キュベット委員会)
9月| 大学院生の経済問題(2) 授業料免除
前回は日本育英会の廃止と独立行政法人への移管に伴う免除既定の廃止について述べた。今回は授業料免除にまつわる問題点を指摘したい。
埼玉大学理学部生体制御学科4年生の片桐友二さんは、授業料免除が受けられないため、大学院進学を諦めた。
片桐さんは63歳の母と兄の三人家族。今までは大学の授業料が免除になっていたが、今年から授業料の全額免除が適応されなくなったという。
「兄は今年就職し、家を出て行きました。驚いた事にこの事が、授業料全額免除の基準を満たせない原因になってしまったのです。」 と憤懣やるかたなしという表情で語る片桐さん。兄が家を出たことにより母親の扶養家族が一人減ったため、採用基準が厳しくなったという。
「具体的に基準を大学の厚生課に問い合わせた所、全額免除の基準は所得が140万円以下という事でした。この所得の計算は、母の給与と遺族年金の合計384万円に、ある計算(この計算の根拠は知りませんが、具体的には384×0.7-62)をして206.8万円として、私の所得である育英会奨学金49.2万円を足して256万円とします。ただし、母子家庭の特別控除額というのがあります。それが77万円です。つまり、256-77=179(万円)が私の所得と計算されます。そして、179万円では140万円の基準を満たせなかったというのです。」
しかもこの所得は前年度のもの。兄が就職するということもあり、母親は仕事を辞めてしまった。授業料免除を当てにして学費の蓄えもなかったため、50万円の授業料納付が大きな負担となった。
「母には(授業料免除されなかったことを)黙っています。もし母に免除にならなかった事を言ったら、無理に働いてしまうでしょう。母はもう63歳なのです。これ以上働かせる訳にはいきません。結局私は、卒業研究も中途半端にしてアルバイトに精を出す事になってしまいました。本当は卒業研究をする為の学費なのに、その学費を払う為に卒業研究を辞めなければならないとは、なんという矛盾でしょう。」
皮肉なことはもう一つある。日本育英会からの奨学金が所得に換算されたため、日本育英会の奨学金を貰っていたため授業料が免除されなくなったのである。学業を援助するための奨学金が、学業に勤しむ時間を減らす矛盾。
経済的困難に直面した片桐さんは、断腸の思いで大学院進学を諦め、就職することにした。修士課程入学後の授業料免除を当てにすることも考えたが、免除されることが確実でないため、考慮に入れることができなかったという。
国立大学の授業料免除に関する資料は少ないが、文部省の大学審議会の資料によると、1998年の時点で授業料免除を受けている学生は、学部と大学院を合わせて,平均で8.5%程度であったそうである。しかし、2001年には6.4%、2002年度には5.4%と、授業料免除の採用枠が漸減しつつある。経済的に裕福な家庭の出身ででないと研究者になれない…研究者の「階層化」が進んでいる。
それでも片桐さんは研究者になる道を諦めてない。日本の研究者育成システムに風穴を開けるべく、片桐さんの挑戦は続く。
「進学を断念した最大の理由は、この国の高等教育が、貧しい学生の首を締める方向にどんどん向かっていくと予想されるからです。最近、問題が多く指摘されていた育英会ですが、業務の多くを民間に委託することになりそうです。また、国立大学も独立行政法人化します。民間化や独立行政法人化は、効率よく利益を追求する為に行われるのです。このままで行けば、教育に益々お金がかかるようになるのはもはや明白だと思われます。もし進学しても、博士まで行って苦労しないか、博士を出た後70歳になるであろう母を支えていけるのか、とても不安です。そこで、いっその事私は就職を決意したのです。もちろん研究者になるという夢を捨てたわけではありません。しかし、家族や家計を無視して研究に打ち込んで良いわけでもありません。幸い、就職は研究職を選ぶ事ができました。状況が許せば、いつか大学院に戻り学位を取りたいと思います。これからも学費問題が解決しないのなら、せめて研究職の年齢制限がなくなる事を願うのみです。」
(生化若手 PNE キュベット委員会)
10月| 大学院生の経済問題(3) 希望と展望
本連載では、二回にわたり大学院生の経済問題を取り上げてきた。第三回目(最終回)である本稿では、この問題に対する取り組みの現状を報告し、将来の展望を述べてみたい。
1990年代初頭に産経新聞に連載された連載記事「理工教育を問う」(現在は新潮社から刊行)は、粗末なアパートに住んで貧窮生活をしている大学院生の実態を明らかにして、関係者に少なからぬ衝撃を与えた。その後政府関連の様々な提言で、大学院生の経済的サポートの充実化が言及されるようになった。しかし、授業料のスライド式上昇、日本育英会の縮小(連載第一回参照)など、提言とは裏腹に、大学院生の経済状況が好転したという話は聞かない。確かに、日本学術振興会特別研究員(DC)採択者数は増加したが、それでも全博士課程院生の6%にすぎない。大学院生にとってこの10年は、まさに「失われた10年」であったと言えるかもしれない(大学院生の経済問題の現状に関しては、「大学改革」(東洋経済新聞社刊)によくまとまっている)。
しかし最近政府系の二つの組織が出した提言には、大学院博士課程の学生への経済支援体制の重要性が、より具体的に指摘されている。今年6月に総合科学技術会議が公表した、競争的資金制度改革プロジェクト「競争的研究資金制度改革について 中間まとめ」(http://www8.cao.go.jp/cstp/project/compe/index.htm)は、
「大学院生への給与の支給や大学院生の経済的支援が諸外国に比べて少なく、研究者養成の観点からもその拡充が指摘されている。従って、競争的研究資金からの大学院生への給与の支給については、現在実施されている特殊法人によるフェローシップ制度及び日本育英会の奨学金制度との関係に留意しつつ拡充を検討する」
と明言している。また、7月に公表された、文部化学省・科学技術・学術審議会人材委員会(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu10/index.htm)の第一次提言「世界トップレベルの研究者の養成を目指して」は、リサーチアシスタント(RA)制度の拡充を提言している。
上の提言でも指摘されているように、科学技術研究補助金(科研費)も含め競争的資金制度の多くが、博士課程学生に対してRAの手当てを支給することを認めはじめている。科研費の場合手続きの煩雑さや認知度の低さから、現在のところ限られた大学でしか導入されていないようだが、今後いっそうの拡充が期待されている。
ようやく大学院生の経済問題が解決すべき課題として各方面で認識されるようになった。今後は取り残された形の修士、学部の学生に対する支援をどうするか、給与とフェローシップの割合などより具体的な課題に焦点が移っていくだろう。ただ、ここで一つ指摘したいことは、国費から大学院生の生活費を出すことが社会的コンセンサスを得るためには、学位取得者が社会にとって必要な人材であることが認知されなければならないということである。先に挙げた文部科学省の提言は、日本の大学院博士課程修了者は専門分野が比較的狭く、主体性に乏しく国際経験も少ないと指摘しており、博士課程修了者が産業界からのニーズにこたえているとは言い難いと明言している。勿論産業界のニーズだけが社会の要請ではないが、上記で指摘された資質は、社会の多くの場面で必要な資質であると言える。大学院から生み出された人材が社会にとって役に立たなければ、大学院生の経済問題は個人の生活の問題であり、国や社会が支援すべき課題ではなくなってしまう。「好きなことをやっているのにお金を貰おうなど、おこがましい」という指摘には、真摯に耳を傾けなければならない。
このように、大学院教育の充実化と奨学金問題は切り離して考えることはできない。大学院生の経済問題解決のためには、院生は無償の労働力ではないということ、社会にとって役に立つ人材の育成となにかを考えることが不可欠である。資源のないこの国では、人材=人財こそ最大の資源であることを、科学行政に関与する方々、大学教官、学生のそれぞれが意識することから、この問題の真の解決が始まるといえよう。
(生化若手 PNE キュベット委員会)
11月| 科学ジャーナリズム変革宣言(1) 夏の学校分科会から
科学の応用が技術,科学ジャーナリズムの役割は知識のない一般人に正しい 科学の知識を伝えること,そんなナイーブな考えの方いませんか? もっと科学のことをちゃんと知ろう,そして,科学を育てる科学ジャーナリズムをつくってしまおう,そんな大きな目標をもって,この分科会は企画された.その成果はいかに.
●科学ジャーナリズムは何のためにあるのか
今年の生化若手夏の学校で行なわれた本分科会のプログラムは囲みのとおり.単なる印象批評に終わらずに,具体的な事例研究に基づいて,実行可能な最初の提言を示す,そのために組まれたプログラムであった.
日本の科学ジャーナリズムの何が問題なのか,そこには,目的,実力,組織,養成,運営などの点でさまざまな課題がみてとれるのだが,ここではそれを象徴的に現わした図をみてほしい.ピラミッドの頂点から下向きの矢印に沿った情報の流れがあるが,市民社会から科学を育てようというボトムアップの流れが欠如していることを示しているのが“欠如モデル”による社会の記述である.1960年前後に各新聞社に科学部が成立した.以来,日本の科学ジャーナリズムは,この段階に止まっているといえる(林による導入).
この段階から,どのように“成熟した市民社会”(図右)のコアとなる科学ジャーナリズムに脱皮するのか,それが分科会会場で共有が進んだ課題なのである.
長谷川氏は,科学の発展に貢献するためには,科学ジャーナリズムは,科学を批判して監視するのみならず,人々がどうすれば科学の発展に寄与できるのかも,知らせるべきであると述べたうえで,成熟した科学技術社会に科学ジャーナリズムが果たす役割として,科学の成果を情報として提供するばかりでなく,その意味を分析し,異なるさまざまな意見を知らせ,判断の材料を提供することをあげた.このことは,市民が科学や科学者に対して質の高い意見を持ち,科学の研究に参加することにつながるだろう(じつは,“Nature”は1869年の創刊時から,これをやってきている).
●職業としての科学ジャーナリズム
ジャーナリズムで求められる企画→取材→制作→表現(映像・番組)という一連の流れは,テーマ設定→調査→分析→発表(論文)という科学研究手法と相似形だと指摘したのは,NHK教育テレビ『サイエンスアイ』のアナウンサー兼ディレクターを務めた山口氏だ.同番組6年間の成果,狂牛病,環境ホルモンの日本最初の報告,台湾大地震の地震断層の自らによる発見・報道などは、フィールド研究者として身につけた研究手法とフットワークが生んだ業績といえる.理工系大学院生にとって,科学ジャーナリズムが魅力的な職業であることを実感させられる.
では,職業としての科学ジャーナリズムはどのような倫理・専門性をもつべきか,それを明確に述べたのが,井上正男氏であった(続く).
夏の学校科学ジャーナリズム分科会
8月17日
林 衛(UDI科学の社会化研究室)
:科学ジャーナリズムの何が問題か?
長谷川眞理子(早稲田大学)
:21世紀のサイエンテフィック・リテラシーと科学ジャーナリズム
山口 勝(NHK名古屋)
:科学番組『サイエンスアイ』から何がみえたか
井上正男(北國新聞論説委員室)
:予見ができる科学ジャーナリズム宣言――狂牛病はなぜ防げなかったのか
8月18日
横山広美(東京理科大,サイエンスライター)
:科学ジャーナリストをめざす醍醐味――ニュートリノ質量発見報道日米比較から
井上智広(NHK科学・環境番組部)
:テレビと科学とジャーナリズム――ローカル科学番組のつくり方と可能性
バイオ分野の進路・就職相談会(バイオベンチャー分科会と合同)
図 科学,社会,科学ジャーナリズムの関係.21世紀の成熟した市民社会においては,科学者集団,政府,市民(もちろんほかと重なる)とよい緊張関係を保ちながら,社会に科学を育てる科学ジャーナリズムの役割がますます重要になる.
林 衛(UDI 科学の社会化研究室・同分科会オーガナイザー補佐)
12月| 科学ジャーナリズム変革宣言(2) 職業としての科学ジャーナリズム
●21世紀の科学ジャーナリズムの役割
日本では科学雑誌が売れない,それは日本には科学を楽しむ文化がなく,一般市民が科学への関心をもっていないからだ,市民にもっと科学を伝えないとならないといったことがよくいわれる.ところが,日本では『ニュートン』のようなイラストを多用したわかりやすい一般向けの科学雑誌がコンビニエンスストアでも販売される一方,英米の状況と異なり,科学者を中心とした読者層をねらった『科学』や『日経サイエンス』といった総合科学雑誌の部数が低いという特徴がある.科学者が,専門外の科学を楽んでおらず,科学に対する視座を自ら狭くしている実態の反映なのか.
しかし,『科学』は最近20年以上続いてきた部数減に歯止めがかかり部数上昇に転じ,『日経サイエンス』も堅調に推移している.出版不況といわれるなかでのことだ.科学の成果が続々と生まれていることに加え,環境ホルモンや感染症,遺伝子組み換え作物,大震災,気候変動などのように,科学的知見抜きには個人的にも社会的にも意思決定や解決が困難な問題も少なくない.前号で示したとおり,科学者と関心の高い市民に共有される価値のある質の高い情報を提供し,社会の中に科学を育む科学ジャーナリズムがいま求められている(前号図参照).科学者のもつ情報を一般市民に一方的に伝えるだけが,科学ジャーナリズムの役割ではない.それだけでは問題の解決はできないからだ.
●科学ジャーナリズムは期待に応えているか
科学者と一般市民の期待に応えるために必要な科学ジャーナリストの行動指針(囲み)を示したのが,井上正男氏(北國新聞論説委員)である.井上氏は京都大学理学部で物理学の博士号を取得し研究職についたのち,新聞記者に転じた経歴をもつ.
さらに井上氏は,水俣病,薬害エイズ,BSE事件など,科学と科学ジャーナリズムの失敗の分析に基づいた,11の行動基準を示した.「(科学や技術の)影響のメリットや問題点がすぐには見極めにくい現代にあっては,目撃者と称して,時流に超然卓越してはならない」「公平中立と称して,あるいは釣り合いの感覚と称して,社会への影響を予測するための科学論争に関与することを回避してはならない」「原著論文を読みこなすなど,科学者や技術者から自律して科学や技術の成果の社会的な意味について洞察力を発揮しなければならない」など,科学ジャーナリストの進むべき道を明確にした基準である.
期待に応えられる科学ジャーナリストとは,科学者と一般市民の双方を,ときに納得させ,ときに真剣に考えさせられる力量と志が求められる. 『Nature』創刊時の興味深い論争がある.政府の資金で太陽観測を行う新しい天体物理学の研究を提案した同誌創刊者のロキャーに対し,グリニッジ天文台の台長らは,科学者の務めは役に立つ業務をすることであり,政府の資金を使って昼間から役に立つかどうかわからない太陽観測をするのは,科学者にあるまじき行為であるといった趣旨の反対論を述べている。『Nature』は1869年当時から,科学をどのように育むのかを大きなテーマとしているのだ.
次回は,ニュートリノ質量発見という大ニュースの日米比較から始めて,日本の科学ジャーナリズムの特徴と課題をさらに追究したい.
21世紀の科学ジャーナリズム宣言(井上正男・林 衛による)
私たちは,公益に資する理想の科学ジャーナリズムの構築を目指し,
1 疑わしきは回避・予防措置をとるなど,公共哲学をもって活動します.
2 そのため,対話型の公共圏づくりに積極的に参加します.
3 「公平,中立」「不偏不党」の神話から抜け出し,科学ジャーナリストの四つ
の社会的責任と11の行動基準に従って科学論争に自ら参加します.
4 科学者の三つの社会的責任(説明責任の原則,リスク予測の原則,予防措置の
原則)を自覚し,活動します
5 信頼のジャーナリズムのため,国立大学などに基礎教育にあたる科学ジャーナ
リズム大学院をつくろうと呼びかけます
科学ジャーナリストの四つの社会的責任(抜粋)
単なるレポーターではなく専門職としてのジャーナリストであるためには社会的
な責任が伴う.以下は,その要約である.
第1.科学ジャーナリストは自律して報道しなければならない⇒ 報道,評論の
自律の原則:権力についてはもちろん,世論にもおもねることがあっては
ならない.
第2.科学ジャーナリストは公正な報道をしなければならない⇒ 正確・公正・
迅速な報道,責任ある評論の原理.責任ある評論とは,主張の根拠を明確
にした論説.
第3.科学ジャーナリストは「知る権利」にこたえなければならない⇒ 国民の
「知る権利」擁護の原則.
第4.科学ジャーナリストは自浄能力を持たなければならない⇒ 公衆の信頼を
得る努力の原則.
林 衛(UDI 科学の社会化研究室・同分科会オーガナイザー補佐)