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2004年

1月| 完全無料お得なオープンアクセス雑誌

 われわれ研究者は、政府の研究費で研究を行ない、Nature、Cellといった商業誌に論文を発表する。ところがホームページ(HP)で、これらの商業誌に掲載された論文の全文を見るのは有料である。大学等で一括してオンラインアクセス権を購入しても実はかなりの負担がある。

 米国では、1999年、Harold Varmus博士が生物医学分野で発表された研究成果に無料でアクセスできるオンラインサービスを提案し、PubMed Centralが設立され、Proc. Natl. Acad. Sci. USA誌掲載の全文が無料で公開されるようになった。2003年6月末には、Public Access to Science Actという法案がMartin Sabo議員によって提出された。この法案の趣旨は、税金(政府研究費)を利用して行なって得た科学研究の論文は、無料で大衆が見られるようにHPで公開されるべきであるというものである。でもこうなると、商業誌は成り立たなくなってしまうので議論もある。しかし英国のDevelopmentやJ. Cell. Sci.を発行するチャリティー団体The Company of Biologistなど無料化に追随するところも増えてきている。

 一方、科学者も、最高水準の無料公開雑誌を目指すべく、英国のJournal of Biologyと米国の PLoS [Public Library of Science]という場を作った。昨年発刊されたJournal of Biologyは、教科書”Molecular Biology of the Cell”の執筆者の一人、ロンドン大学を退官したMartin Raff博士が編集長である。また、この10月に創刊されたPLoS Biologyの編集部には、Cell誌編集長から転身したVivian Siegel博士が加わった。PLoSはNPOであり、半導体メーカー創業者の財団を中心に5年間で約10億円の援助が行なわれる。これらの雑誌の内容は、全文無料公開されているばかりでなく印刷雑誌にもなっている。すでに、PLoS Biologyに発表された「生きたサルの脳を使って、義手を動かした」という研究は大変な話題となって、HPにアクセスが集中してつながらなくなったというニュースも伝わっている。PLoSは、論文を執筆する側が代金を負担して載せるなど、未来の科学雑誌出版のひとつのモデル事業でもあり、PLoS Medicineも出版される。

 高水準の無料公開雑誌という運動の将来は未知数である。ただ、これらの動きは、科学研究市場の変化をもたらす可能性が高い。日本においても考えておくことがある。まずひとつは、税金で行った研究の成果を国民誰でも「無料」で知ることが出来るか、ということだ。現状では、日本初の学会誌で「無料」閲覧できるものは多くないようだが、学会誌は原則的にHPで「無料」公開できないものだろうか。研究者の研究成果は「無料」で見られる研究機関のHPのなかでもっと公開されるべきではないか。文部科学省の科研費を民間企業にも配布することになったが、その研究成果が秘密となり、結果的に納税した国民が「無料」で知ることが出来なくなるのは問題ではなかろうか。

 また、生命科学の諸分野が結集して、大きな運動を起こしているという点にも注目したい。 PLoS Biologyに相当するような日本版インターネット無料公開雑誌を作ることはできないものだろうか。よくアジアや日本には、NatureやCellに相当するような雑誌がないから作るべきだといわれる。また日本では、生命科学分野の諸学会の結束が弱いために、研究環境の改善等について政府に要望しにくい。とくに若手の意見というのは政府に届きにくい。せめて、生化学、分子生物学を含めた生命科学性すべての分野をまとめたオンライン雑誌をつくりコミュニケーションの場とすることができないものだろうか。インパクトのある論文を載せるだけでなく、学際的な分野を積極的に取り上げ、科学政策もそのような場で国際的な視野をもって議論できないものだろうか。

(Biowindy)


2月| アカポスの壁~アメリカでのアカデミックポストへの就職~

 私の知人の米国人ポスドクが米国で大学のアカデミックポストを得ようと就職活動をしている。米国では、ポスドクを1回あるいは2回終えた後、就職活動をするケースが標準だと思う。大学院を終えて、ポスドク期間なしで、大学のassistant professorにつくということはまずありえない。ポスドクは必須なトレーニング期間であると考えられているからだ。assistant professorは、ロックフェラー大学などごく一部の大学を除いて、ラボを運営する独立PI(principal investigator)ということになる。ただ一部においては、ポスドクから独立する段階で、research assistant professorなどのポジションもある。このポジションの場合、自分でグラントをとってきて、ポスドクをやったラボの周りにそのまま滞在し、元のPIの援助のもとで研究するというようなケースが多い。また、大きな研究室に複数の独立した若手を入れて、設備を共有させながらも独立したポストであるというようにしている場合もある。このようなポジションを積極的においている大学もあれば、そうでない大学もある。

 さて、ポスドクが本格的に独立するとなったら、公募に応募するということになるが、公募の記事は、アメリカの場合は雑誌Scienceなどの巻末に出ているようなものが主なところだ。普通、9月から新しい職の宣伝が始まる。ポスドクは、特に興味ある大学の学部のチェアマンに「今シーズン公募する予定はないか」などと聞いたりもする。そうして公募に応募するが、バイオ系の場合、数十から、人によっては100を超えるような数の公募に応募している。もちろん、それぞれの大学や公募に固有な書式等ないので、印刷して同じものを送るだけで、そんなに手間は必要ない。実質的にトップダウンの決定がなされるので審査も早く、送付して2週間もすると、referenceの推薦レターの送付依頼や、落選の返事が来る。職探ししているポスドクのいるラボのいるラボの郵便箱は、そういうレターであふれることになる。

 1つの公募ポストには100人、時に500人くらいからの応募があるという。だた、多くは程度の高くない応募で、通常、応募者の1~2割が本当の候補者と見なされ、referenceのレターを送ることが求められる(referenceとはそういう意味であり、日本においてはこういう捉え方はあまりされていない)。つまり100人応募しても書類審査の段階で10~20人程度に絞られる。そして、大学は受け取った推薦状を参考にして、そこから5人くらいを選び、面談interviewに呼ぶ。ジョブトークが行なわれるということは、この段階で公になるということだ。ある分野に限ると、ここまで残る顔ぶれはどこの大学でもほぼ同じになり、良い大学の良いポジションから順に埋まっていくという仕組みになっている。研究大学なら、そこで働くポスドクのために、アピールする履歴書の書き方やinterviewの受け方まで指導するようなセミナーまで開かれるのだ。

 一回目の面談の後、再び訪問してスタートアップ研究費など条件の交渉に入るということになる(2nd visitという)。大学も良い人を採用しようとして懸命にやっており、特に研究者人生の始まりとなるassistant professor採用でオープンで公正な人事が行なわれている。だからこそ、その後、tenure(終身雇用権)取得、内部昇進の機会を与えることを納得できるものにしている。米国では、一度PIになってファカルティー(学科を構成している教官)になってしまったあとは意外に研究者は動かないと思う。もちろん米国でも有力ラボ出身者なら、良い所に行けるというコネはあることはある。

 さて、日本の「アカポスの壁」はどうだろうか?

(Biowindy)
biowindy@yahoo.co.jp


3月| デパートメントチェアはデパートの店長

 国内の大学や研究機関の組織運営上のリーダーシップが話題になっている。つまりトップダウンで組織を運営するという事だが、その是非はともかく、現実に国内でもトップダウンマネージメントが強まっていくのは避けられないだろう。日本では、とかく学長のトップダウンが話題になるのだが、私は米国における大学組織運営の特徴は、デパートメントチェアのリーダーシップであると思う。今回は私が米国で見てきた実情について報告してみたい。

 デパートメントというのは、日本で言えば「学科、専攻」に相当するが、より専門化した「講座」的な要素もある。理学系でいえば生物学科とか、医学系では生化学科、薬理学科というようになっている。学科のイメージを明確にするため、生理学細胞生物学科というような2つを組み合わせた名称にすることも多い。通常、それぞれのデパートメントは、named professor, professor, associate professor, assistant professor,つまり独立PI (principal investigator)合計20~30人くらいからなっており、事務とそれぞれの研究室人員がメンバーである。各研究室はPIの名前で呼ばれる。学内には、複数のデパートメントが所属している大学院の組織などもあるが、デパートメントの存在が最も上位にあって、基本的にはPIは1つのデパートメントに属し、日本と違って大学院編成のほうが2次的な組織である。そして、デパートメントの長が、デパートメントチェア(チェアマン。以下、性別を特定しないためにチェアと呼ぶ)である。

 チェアは、そのデパートメントに関係する学問分野の実情を「学問的にほぼ把握している」という点で、学長が大学を運営するのとは違う。だから、そのデパートメントの分野において、どんな研究内容が必要なのか、何が流行しているのか、どんな研究が研究費を集める事が出来るか、中長期的にどんな研究が必要か、どんな教育を担うのか、どんな運営が現実的に必要なのかなどを把握している。もちろん、学部や学科全体、特に実力派や外部の意見などを聞いて、そのような点をまとめているひとつの職業であり、研究者としても組織運営というひとつのキャリアになっている。つまり、チェアという「ポスト」が明確に存在しているのだ。

 チェアは、すでに学科内にいる実力者が就任する場合もあるが、外部からヘッドハンティングや公募で招かれる事も多い。人事の流動性を考えるとき、チェアを全く違う大学からリクルートするというのは、非常に重要であると言ってよい。新しいチェアマンが就任するとなると、それに前後して、デパートメントにいた古参の教授が別の大学に移るというような事さえ起こる。つまり、学科内の人間関係、権力関係の構図が一変するのだ。そして、若手の人事も、このチェアのもとで行なわれる。ジョブインタビューにくるassistant professorの候補者の世話をするのもチェアの仕事だ。こうしてデパートメントには就任したチェアマンの独自色が出てくる事になる。チェアに就任している期間も5年とか10年とか、ビジョンを実行し実質的な変化を起こせる期間である。

 米国では、それぞれの研究室で大型機器を揃えて独占使用するのではなく、運営費や寄付金などを利用してデパートメント単位で購入して共通に使うということが日本よりかなり一般的である。そのような機器購入のアレンジをするのもチェアである。デパートメント主催のセミナーでは、講演者の接待をし、挨拶をする。セミナーでは、コーヒーとクッキーがしばしば用意される。チェアが変わると、コーヒーだけになったり、クッキーの入手先が変わったりする。こんな細かいことまで影響を与えている。つまり、チェアはデパートメントという「デパート」の店長だ。構成員はテナントといったところだろう。デパートメントの評判が高まれば、チェアの名声やカリスマ性も高まる。デパートメントの講義室などには、歴代チェアのポートレートが飾られていたりもする。

 日本では、学科長は教授の持ち回りで選ばれ、名目上の地位になっていることがほとんどだ。もしチェアという明確なポストを作って外部から有力研究者を招聘してくるということをしたらどうなるだろう?

(Biowindy)
biowindy@yahoo.co.jp



4月| トリビア:日本の研究環境はアメリカ人を惹きつけるか

 日本にも、外国人の研究者を積極的に登用しようという研究機関が増えてきた。例えば、理化学研究所の羽化学総合研究センターでは1/3の所員を外国人に充てる計画だ。また、2005年親切予定の沖縄科学技術大学院大学は、所長にS.ブレンナーを迎えたことで話題となったが、教授陣、学生の過半を外国から迎える計画だ。こういった「国際的」研究機関は、今後日本に増えるだろう。しかし、来日した外国人研究者は、日本を離れるときに満足してくれるのか。  米国にいると、外国から見た日本の姿を見聞する機会が多い。そして残念ながら、日本人の想像以上に、外国人は日本の研究環境に対して否定的な印象を抱いているのが現状である。設備的には、アメリカより豊かになった日本の研究環境――それでもアメリカ人を惹きつけることはできない。本稿では、アメリカ人から見て、日本はどんな所なのかをレポートしたい。日本にいると、外国からの視点はつい失念しがちだ。研究環境・人材雇用の流動性を考える上での多角的な観点の一つとして、本稿を受け止めてほしい。 ■日本の印象【生活編】 子どもの教育のためには日本語環境の日本に住むなんて問題外/夏は暑く、冬寒い/米国の食べ物が意外と入手しにくい/魚なんて臭くて食べられない/地震が多い。有感の地震なんて体験したことない/愛想が悪い。目が合ったら微笑んでほしい/タバコの煙が不愉快/ゴミの分別が面倒/日本人は口が臭い/医療システムが遅れている。病気になるのが怖い/騒音の多いウサギ小屋に住むなんて嫌だ/日本なんかに行ったら情報から取り残され米国に帰れなくなる  網羅的に調査したわけではないが、日本についてよく聞く意見がこれである。生活については個人の価値観によるところが大きいとはいえ、英語圏のde facto standard(事実上の標準)にのった独尊的稚拙さが見え隠れし、あきれるかもしれない。しかし、外国人を日本に受け入れるならば、こういう考えが多いことも把握したほうがよいだろう。上記の俗説は、多少なりとも日本を知った研究者たちが帰国後流布した情報から形成されたものであり、日本は良く思われていないことは確かなのだから。 ■日本の印象【ラボ編】 英語が出来るテクニシャンが見つからない/英語の出来るポスドクや院生が少ない/発表技術のレベルが低い/議論がなく嗜好が教科書的だ/日本語の分からない外国人が近くにいるのに日本人同士が英語で話すという配慮がない/試薬が高く、輸入品の入手に時間がかかりすぎる/院生がアルバイトに精を出し研究に集中しない/図書館が不親切。日曜や夜開いてないし、書庫から取った製本雑誌を自分で戻すなんて面倒/親切なコアファシリティーが欲しい/序列が厳しい/真の成功者が報われない/研究所の建物や周りが文化的ではない/もっと人生が楽しめる場所で研究したい/外国人は外国人としか扱ってくれない  研究者個人ではすぐには解決できない問題も多いが、個人レベルで改善できそうな部分もあることが分かる。英語を使うのが重要ではなく、いかなる言語であれ、意思疎通をする努力こそ重要だ。あなたの身近にいる外国人研究者とプラスの意思疎通をとることが、日本の好印象に直結する。議論が弱いとの流言については、それは偏見だと憤る皆様に頑張ってもらおう。また今後の教育問題として真剣に再検討されるべきだと思う。  ところで、科学研究分野への外国人の進出が目覚ましい米国では「アメリカのサイエンスはアメリカ人によって担われるべきである」という政策が実行されようとしている。ところが、米国では、外国人の進出でアメリカ人が損をしているという雰囲気はあまりない。一方、日本の場合、邦人留学者が帰国できる地位を得にくいことは、周知の事情だ。米国では、日本で職を得た外国人より優秀な日本人が多数、日本国内での職を探し続けている。また、米国のほうが良くて帰りたがらない日本人も多い。この現状が日本への偏見をいっそう助長している。つまり、アメリカ人に日本は「自国民研究者さえ処遇できないような国」「自国民が帰りたがらない国」と思わせてしまっている。問題が、日本国内の研究ポストの数、流動性、魅力のなさに起因していることを改めて認識するべきだろう。  以上、日本国内では意識されにくい視点をレポートした。今後、研究成果・研究環境いずれも世界から敬意をもたれる日本になるよう、誤解はPR努力で改善し、日本特有の難点は個人や組織のレベルで改善したいものだ。 (Biowindy) biowindy@yahoo.co.jp


5月| 英語の標準化とオリジナリティ

 先月号の本欄では、英語圏でのスタンダード意識に話題が及んだ。研究業界での英語の必然性を前に、日本では学会での英語使用の一般化などが着々と進行している。私たち若手研究者は英語を使えなくてはならない。しかし、言語はロジックをはらむので、英語ロジックの使用は「画一化」を生むともいえる。「画一化」とは、オリジナリティ信仰の強い研究者諸氏にはやや抵抗のある響きだろう。今回は、英語的ロジックとオリジナリティについて論考する。


●方言の画一化

 言語は、単なる意思疎通の道具ではなく、思考回路にも深く関与し、文化の基盤となる大切なものだ。日本人にとっては、標準語も数多の方言もすべて正当な日本語といえる。しかし、標準語と方言を比較すると、標準語のほうが洗練されていると思える場合が多い。どうしてだろうか。

 明治以来、標準語は報道・文学・科学など幅広い分野で使われ「磨かれてきた」のに対し、方言はそうした機会に恵まれなかったからと考えて間違いないだろう。言葉も脳と同じで、適切な刺激を受け続けないと発達することが出来ない。方言を磨く機会を積極的に設けなかったことが、今日の方言の衰退(日本語の画一化)、そして地方の衰退(文化の画一化)につながっている。


●英語化の潮流

 現在の世界における英語と各種言語の関係は、日本における標準語と方言の関係に似ている。昨今のグローバリゼーションは、アメリカへの一極集中をもたらしつつある。サイエンスの世界でも然り。先月号の本欄でも論じたように、日本でも沖縄科学技術大学院大学など英語を公用語とする研究機関は増えている。今春の細胞生物学会は、口頭・ポスターすべての演題が英語使用で行なわれる運びだ。国内の主要学会も追随しそうな気配である。

 この英語かの潮流は、日本人研究者がサイエンスを行なう上での言語障害を下げることが目的の一つになっている。また、それだけでなく、日本語と密接な関係にある上下関係、過度の慎み深さも軽減され、アメリカ・ヨーロッパで普通に行なわれているような自由な議論も可能となってくることが期待される。率直に言って、若手研究者への教育的配慮が背景の大部分を占めている。


●画一化できないオリジナリティ

 明らかに利点の多い英語化政策に、皆様の多くも賛同されていることと思う。そこで、この潮流を受け入れる個人の心構えについて、一つ指摘をしておきたい。それは、サイエンスの世界でも結局は日本語のロジックは淘汰されきることはない、ということだ。わざわざナショナリズムを煽りたいわけではない。サイエンスを楽しむために大切な、オリジナリティに関わることである。芸の世界で究極的に大切なことはアイデンティティ、言い換えればオリジナリティだと思う。研究者の個人的な人生、固有の価値観から溢れ出す探究心が、研究の最大の駆動力になることはご存知の通りだ。これはきれいごとではなく、研究者の才能とか能力は、個人の見識、すなわち実生活での定型的でない行動や考え、もしくは独断や偏見に満ちたものの見方に負っているのだから仕方がない。

 ところが、研究する私たち一人一人に固有の研究の動機は、たいていの場合「英語」で培ったものではない。英語の必要性を痛感しつつ、アイデンティティの根底に日本語を背負っている私たちは、日本語を捨てられはしない。個人の文化的背景は、研究テーマの設定(の好み)から研究推進の戦略までの多岐に渡り影響を及ぼしているものなのである。すべてを英語に依存できるものではないのだから、日本語の論理も放置せず磨いていくことが肝要なのである。

 今、自分の研究のオリジナリティをみいだしていこうとしている若手研究者の皆様、画一化に流されず、自身の源流を見据えてから、英語とつきあっていこう。アメリカ人と同じことを考える日本人研究者が必要なのではなく、アメリカ人がおおっ!と驚くようなことを考えている日本人研究者が増えると面白いのだ。そのヒントが日本語の論理にあると思う。

生化学若手キュベット委員会
藤井健吉



6月| 若手研究者向け研究費の問題点

 先日、Science誌から 取材を受けた。総合科学技術会議が、競争的研究資金の多くが50代の研究者に配布されていて、20代、30代に手薄である(30歳以下で0.4%、30歳代前半でも4.6%)という結果を出したが、この結果は若手研究者にどのように受け止められているのか知りたい、というのが先方の取材の目的だった。

 私は「若手はポストドクトラルフェロー(ポスドク)などの職についていることが多く、そもそも研究費と自由に使える立場にいるものが少ない。だから、この数字自体は、若手研究者が独立したポストについていないことを表しているだけなので驚きはない。若手に独立したポストを与えないと、いくら金額を増やしたとしても無意味である」と答えた。

 私の発言はOlder Scientists Win Majority of Funding (Science, 303, 1746, 2004)の中に 引用されたが、この取材を契機に、若手研究者が直面する研究費の問題点について考えてみたい。日本生化学会は昨年、問題改善のための提言を発表した[「研究体制に関する提言」について(生化学, 75, 634-635, 2003);「研究体制に関する提言 その2」(生化学, 75, 1559-1560, 2003)]。これらの提言は生物化学学会連合の「研究体制に関する提言」としてまとめられ、関係者省庁に提出されている。これらの提言の作成には私も関わったので、これらも参考にして、若手研究者への研究費配分をより良いものとするための方法を探ってみたい。

 まず、科研費でいえば、年額500~1,000万円の基盤研究(B)、および比較的小額の基盤研究(C)の2区分にあたる小額の研究費を、ポスドクや非常勤的な研究者を含む多くの若手研究者に配分するシステムを作ることを提案したい。使い切れない程の研究費を特定の研究者に集中させるより、小額の資金を数多く用意するほうが有効な資金の使い方ではないだろうか。研究費獲得は若手にとって非常に励みになるという声も多い。

 確かに近年、若手研究者向けの研究費は増えている。たとえば2002年度に、日本化学技術振興会は37歳以下向けの研究費を50%増額させ、また特別研究員として4,800人(うち2,100人は大学院生)に研究資金を配分している。それ自体は評価したい。だが、こうした研究費が研究室全体の資金に加えられ、研究費を取得した若手研究者自身が自由に使用できないケースが多いという[詳しくはJapanese system buries the individual researcher(壇 一平太 : Nature, 423, 221, 2003) 参照]。また、ポスドクの所属によっては科研費などに応募できない、COEのポジションが非常勤扱いのために研究費の応募資格を失ってしまった、などという制度的な使いにくさを指摘する声も多い。

 よって、所属や身分の制限を問わず、独立した研究者に科研費を配分すべきである。研究者の実力は、自由にお金を使うことができてはじめて判断することができるのであり、発想の柔軟な若手に「任せてみる」システムを作ることが急務である。

 次に指摘したいのは、若手向け研究費の「その後」のことである。本来ならば若手研究者は研究費を活用し、研究能力を高め、優れた業績をあげたうえでさらなるポジションを得るべきであるが(サミュエル・コールマンはこれを「クレジットサイクル」と呼んでいる)、若手と中堅の中間に位置する研究者への支援策が薄く流動性が乏しい日本の研究システムでは、研究費の支給期間が終了した後の資金にめどが立たず、多くの若手が独立した研究を継続できないでいるといった自体が生じている。若手研究者向けの大型研究費であるさきがけ21は、一部では「先崖」と揶揄されているそうであるが、過度な年齢制限をするのではなく、さまざまな段階の研究者が実力に見合った研究費を取得できるようにすべきである。

 こうしてみると、この問題は若手の研究費だけの問題ではないことに気づく。研究費を含め様々な問題は、機会の門戸開放(年齢や所属を問わず)と、高平滑厳正な選抜評価を実現することで解決するのではないか。

 ここで挙げたような問題が早急に解決され、研究者ひとりひとりの能力が十分発揮されるようなシステムが早急に実現することを願う。

榎木英介
(NPO法人サイエンス・コミュニケーション代表理事)



7月| 日本独自の研究を武士道から育む

 昨今の研究式の欧米化は日本における研究環境を画一的かつ合理的に変化させている。これは日本が欧米の制度・方法を学び、自発的に取り入れてきた成果であるが、今日ではそれが単なる模倣に終始している印象を受ける時がある。このような欧米かの怒濤にあらがうかのように登場したキャッチフレーズに「日本独自の研究」という言葉がある。思うに、昨今の欧米かの潮流は、明治の文明開化がそれまでの日本の制度や慣習を一変させたことを彷彿とさせる。かつて幕末の動乱の中、日本独自の文化・伝統の衰退を危惧した吉田松陰は「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」と詠んだ。日本の将来を憂えた維新の志士たちを倒幕に駆り立てたこの“武士道精神”は、欧米かの潮流に乗りつつ日本独自の研究を志向する上での現代的羅針盤となりうるのではないか。

 まず、「日本独自」の意味を、文化・伝統という潮流から考えてみたい。例えば、日本が世界に誇る独自の研究として知られるものに複合培養系技術がある。日本酒は麹による米のデンプンの糖化と酵母による発酵が同時に進むため、ワインやビールでは例を見ない20%以上の高いアルコール度数が得られる。醸造に見る日本独自の研究の特徴・魅力は応用力であり、それは工学分野に目を向けると枚挙に暇がない。日本は伝統的に、応用に向けたベクトルの駆動力である利益や実用性を加味した対象の選定や、応増に必要とされる技術に優れていると言えよう。


 それでは、現代の私たちもお家芸たる「的確な応用」を「日本独自の研究」の中心に据えるべきだろうか。否、と著者は考える。日本は伝統的に優れた応用力があるのだからこそ、応用の原点も独創することに執着するべきではなかろうか。

 独創と一口に言っても、研究者によって定義は人それぞれだろうが、ここでは原点を生み出すような独創について武士道にそって論じてみたい。まず、独創の萌芽を発見することは難しい。次に萌芽の可能性を周囲に理解してもらい研究資金・研究の場を得ることも難しい。研究者が自身の年月と情熱を投入してこれらのハードルを越えると、独創的研究が開花しうる。ハードルの高さ故に、若手も中堅もボスも、しばしばその情熱の方向性を別物にすりかえてしまうことがある。萌芽の可能性を後押しするための制度の検討が大切なのは、言うまでもないのだが。


 ともあれ、研究者一個人にとっては、目の前のハードルにどう向き合うかが問題だ。その点でも、武士道は示唆に富んでいる。「義をみてせざるは勇なきなり」という格言がある。封建制度下の武士にとって、義は「正義の道理」であり、その履行を強いる動機になった。一方、勇は「義を行なう実行力」であるが、その履行に失敗したり不履行に終わると、武士は切腹をもって自身の正当性を主張した。鑑みて、現代日本の研究者にとって、義とは「自身の研究動機、研究課題」であり、勇とはやはり「義を行なう実行力」と言えるのではなかろうか。もちろん、切腹という物騒な話はさておき、私たち研究者は、実験によって根拠となる証明を重ねることで正当性を主張することができる、独創性を志向する研究者にとっては、義と勇こそ現代的課題であり、義をもって対象を見据え、勇をもってハードルを越えよ、と武士道は示唆しているのである。


 われわれ若手は、自身が独創の萌芽を生み出せるように、原点を見つめる勇を磨き、萌芽期の評価の辛さに左右されない不屈の信念をもった勇を大切にしたい。こうして生まれるであろう未来の独創的萌芽と、日本伝統の応用研究を結びつけることで、真にオリジナルで豊かな研究成果が創出されていくだろう。学問に王道はない。「武蔵野の あなたこなたに 道はあれど わがゆく道は もののふの道」(蓮田藤蔵)。研究は斬るか斬られるかの真剣勝負である。真理探究の茨の道に思いを致しながら、さあ、いざ出陣!!

生化学若手キュベット委員会
大沢要介



8月| 若手研究者の結婚・子育て(1)

 最近、日本学術振興会の特別研究員や海外特別研究員が、出産や育児で15ヶ月間研究を中断できることになった。研究業界でも子育てへの理解はしだいに深まってきていると感じる。今回のキュベットは、“若手研究者のキャリアプランとしての結婚・産休・育児”について取り上げてみたい。結婚・育児には経済的・時間的・環境的にさまざまなハードルがある。収入のない院生・時間貧乏の実験系研究者には危険な選択だともよくいわれる。けれども大学院生・ポスドクの多くは、世間的にいえば“結婚適齢期”の若い男女だ。なるべく視野を広げて先達の成功例に学びながら、キャリアと結婚・育児を両立させうる方法を模索してみよう。既婚者や上の世代にとっては語り尽くされた話題かも知れないが、今まさにキャリアと結婚・子育てを両立していこうとする若手に考えるキッカケと勇気を提供できれば幸いである。

●若手研究者と結婚
 研究者の結婚には、ひとつの定番がある。博士号取得にあわせて結婚する、というスタイルだ。無給に近い大学院時代を乗り切り、晴れて研究職(最近ではポスドクや企業研究者など)につくと、念願の経済的基盤を手に入れることができる。ひとつの良い契機となるのだ。ところが近年、この定番から前後に数年ずらした時期を選択する人も増えているという。後者は期限付き研究員の立場では結婚を選びにくいというケースである。“ポスドクジプシー”という言葉の響き通り、1stポスドク、2ndポスドク、3rdポスドクと任地を変えて渡り歩くこの時期、パートナーも職をもっていると一緒に渡り歩くのはむずかしい。共働きを前提に考えている最近の若い世代の中で、ポスドクの地理的不安定さはハードルの高さを上げる要因となっている。それならば、学生結婚のほうが良い選択だ、と考える人たちもいる。院生の学生結婚は、今も昔も研究業界ではよくある話なので、幸い理解されやすい土台がある。ともあれ、結婚の時期は人それぞれ。院生の学生結婚・出産も、ポスドクの結婚・出産も、それを選択する人たちにとっては大切なキャリアプランだ。その選択を実りあるものにするために、ノウハウの蓄積と公開が大切であろう。

●パートナーシップと周囲の理解
 既婚者の話を聞くと、結婚に際して大切なこととしてよく話題になるのが、パートナーに「研究職という職を理解してもらうこと」である。研究職というのは、労働時間が決まっているわけではないので、土日でも研究したりする。研究時間が業績に比例しがちな分野では家庭でもラボでも軋轢が生じやすいので、特に大切なことだ。
 また、周囲の理解と応援も大切だ。たとえば、大学院生なら、学生結婚することを選択したときに、指導教官の理解と協力があればどれだけ心強いことか。所属する研究室のボスに無断で結婚のみならず出産・育児に突入してしまうことなど、トラブルの基になるのでお勧めできない。両親など身内だけでなく、職場・研究室でも応援されるような結婚生活をすることが、後の産休・育児への理解と応援につながる。

●生活時間のやりくり
 結婚して共同生活を始める場合、誰もが直面する問題が家事の分担だ。使い古された話題かも知れないが、女性側からみると多くの男性に温度差が今でも残っているらしい。古い世代は奥さんに多くを任せるというケースが多かったが、最近の若い世代では、家事は2人で等分担していることが多いのは間違いない。男女を問わず、結婚すると家事などの負担で実験ができなくなるということを心配する人も多いが、どちらか一方が全てを負担するというのではなく、2人でうまく割り振ること、もっと言えば、互いの仕事の忙しさに合わせて分担に緩急つけられるくらいがちょうどよいのかもしれない。経験者が語るには、ここで互いのペースを把握しあうことが、のちの「育児」という、よりハードルの高い共同作業の成否につながるのである。
 次回は、次のステップ「次世代を育む:研究と子育てプラン」について考えてみたい。

若手キャリアプラン検討会
(baby_farms@yahoo.co.jp)



9月|  若手研究者の結婚・子育て(2)

  現代の日本においては、男性は仕事、女性は家事・育児の主要な担い手であるという考え方から、「男女が共同して家庭も仕事も社会参画も」互いに支え合いながら積み上げていくという考え方へと急速に変化しつつある。しかし、たとえば「女性研究者が結婚後、仕事も子育ても両立したい」となると、依然としてハードルは高いままだ。女性を男性に置換して「男性研究者が結婚後、仕事も子育ても両立したい」と言い換えたときの現実感と比較すると、やはり格差が大きい。本稿では、「結婚後も働き輝きたい女性研究者」を応援するべく、知恵を出し合ってみたい。これは個々の努力だけでは済まない課題であり、男性研究者にも同僚としての当事者意識が必要だ。

●男女共同参画の推進
 まず、「男女共同参画」を推進する公的な活動が、30代~40代の研究者を中心に活発化していることをご存知だろうか。理工系の40学協会(日本生化学会、日本分子生物学会、日本蛋白質科学会、日本細胞生物学会など、オブザーバーを含む)が加盟する「男女共同参画学協会連絡会」(2002年発足)がその中心となっている。文部科学省から予算を得て昨年度実施した「科学技術系専門職の男女共同参画実態調査」の結果が、今年4月に「21世紀の多様化する科学技術研究者の理想像-男女共同参画推進のために」として報告された。これは、男女を問わず各学協会会員約2万人の科学技術系専門職へのアンケート結果を解析したもので、これほど広い分野かつ人数を対象とした調査は世界でも例をみない。ダウンロード可能(http://annex.jsap.or.jp/renrakukai/)なので、若手の皆さん(特に男性の方)には一度目を通していただきたい。これら貴重なデータからわかることは、多くの男性が環境整備によって現状の解決への道が開かれると考えているのに対して、女性側は男性や社会の意識改革までを求めており、現状の社会システムに対する男女の意識に差が存在するということである。

●次世代を育む~研究と妊娠・出産
 さて、先月号に続き、研究職の妊娠・出産に話題を進めよう。ここでは、妊娠から出産までと出産後の育児にステージを分けて考えていきたい。一般的な内容も含むが、若手研究者(院生も含む)に有用と思われる範疇で記載した。
 産休制度は法律で定められており、産前6週間・産後8週間の休暇が保障されている。一方、院生が妊娠しても制度としての産休はなく、休学するかラボの好意で長短期休暇をもらうか、のいずれかになることが多い。妊娠から出産までの経費は、入院・分娩費用として約40~50万円だ。妊娠は病気ではないので、大半の検査・分娩が健康保険適用外となるためだが、一部は医療費控除の対象になるので調べてみてほしい。各種一時金[出産育児一時金(30万円)、出産手当金、育児休業給付金、児童手当金など]は、いずれも自分で申請をしないと支給されない場合が多いので忘れずに申請することが大切である。学生の場合はこれらの一時金がないので、そのあたりは大変厳しい。院生結婚はOKでも院生出産を思い止まらせる律速のひとつになっているようだ。
 妊娠中の子供の命は100%母親にかかっている。男性は、この段階での女性の負担の大きさを肝に銘じて欲しい。妊娠出産については、ラボ文化(既婚者の多いラボとそうでないラボ)によって受け止め方の寛容度にだいぶ差がある点も注意が必要だ。妊婦は体調変化も厳しいので、自分の周囲で出産を控えた人がいれば、明日は我が身として(男性もその気持ちで)サポートしてあげよう。
 次回は、育児と研究の両立に話題を進め、とくに「保育所、ベビーシッター、ファミリーサポート制度」といった育児支援システムの利用法について考えてみたい。

若手キャリアプラン検討会
(baby_farms@yahoo.co.jp)



10月| 若手研究者の結婚・子育て(3)

 子どもが熱を出した、朝夕の保育園への送り迎え、その他もろもろ…。研究も子育てもパーフェクトにすることなどできない。何より、研究時間と業績が比例しがちな分野では、実験以外のことに時間を費やすだけでマイナスとなりかねない。子育てと研究の微妙な両立。今回は、若手研究者が子育てをする際に直面する問題とその対処方法について考えてみたい。

●誰が子どもを育てるの?
 育児には手間と時間がかかる。自分が仕事をしている間は、誰かが子どもをみていないといけない。では、いったい誰にみてもらうのか。これが共働き夫婦の一番苦労している点であるが、現実的な選択肢となると、身内あるいは育児サービスの利用となるだろう。仕事の質を落としたくないなら、プロ意識をもって利用できるものは全て利用しよう。
 まず、両親や兄弟に子どもを預けたり、子育てを手伝ってもらったりする方法がある。親が遠方に住んでいて日常的な協力を依頼するのがむずかしいという場合でも、緊急時のサポートや相談相手として親がありがたいのは旧来変わらない。
 もう一つの選択肢は地域の育児サービスの利用である。各種育児施設をあげてみると、幼稚園(文部科学省管轄、3歳~)、保育園(厚生労働省管轄、0歳~)、託児所、地域のファミリーサポート制度、ベビーシッターなどがある。保育園については、各自治体の保育課(自治会によって部署名は異なる)やホームページで情報が得られることが多い。ゼロ歳保育の有無、特別保育や延長保育の有無、送迎の便、給食・離乳食の扱い(とくにアレルギー食の有無)などに気をつけるとよいだろう。しかしながら、都市部では保育園に入園させるのも大変な状況で、入園待機児童が何万人もおり、都市問題にもなっている。無認可保育園は国や自治体の基準を満たしていない保育園をいう。語感のイメージはあまりよくないが、働く親の味方になってくれる良心的な保育施設も多い。また、学内に保育所を併設している大学もあるので、自分の所属する大学・研究所の状況を調べてみてほしい。
 ベビーシッターは比較的料金が高いので、保育所への送り迎えの代行など、一時的な利用に有力な選択肢のひとつとして認知しておくとよいだろう。家に出向いてもらうサービスなので、育児に対する要望が伝えやすくアレンジが効きやすいことが大きな利点である。また、新しい制度として市町村のファミリーサポート制度もある。共働きの夫婦が安心して仕事と子育てが両立できるよう応援するボランティアシステムで、ベビーシッターと併用できる制度として今後の選択肢となるだろう。
 以上、限られた経済力のなか、これらの制度を活用することで共働き研究者の育児はやりくりされている。これから育児に取り組む若手研究者の参考になれば幸いだ。また、育児休職からの復帰の際の手段としては、任期付職を積極的に利用するという戦略もあるだろう。

●結婚・育児に対して寛容に
 子育てが社会から邪魔者扱いされたら、いったい誰が子供をもとうと思うだろう。働く人・研究する人が普通に子育てをし、才能を発揮できるような社会こそ、真の成熟した社会といえるのではないだろうか。キャリアプランとライフプランは、人生の両輪であり、若手研究者にとって大きな問題である。多様なキャリアプランが派生している昨今は、ライフプランのゆがみを見つめ再設計するよい機会なのではなかろうか。

若手キャリアプラン検討会
(baby_farms@yahoo.co.jp)



11月| 博士の就職難は本当に問題なのか?(1) 

 「博士の就職はむずかしい」といわれています。博士課程を修了した時点で就職先を確 保できていない人が5割近くいるのが現実です。最近、文部科学省も博士支援の一環とし て、博士を採用するように企業などに呼びかけていくことも考えているとのことです。し かし、はたしてこの問題は政府が乗り出さなければならないほどの問題なのでしょうか。 案外、博士個々人でなんとかできる程度の問題なのかもしれません。今回の連載(全4回) では、私が自分自身の就職活動やホームページ「博士の生き方」 (http://hakasenoikikata.com/)の運営をとおして考えてきたことを述べていきたいと 思います。

●私の就職活動

 「博士卒、無業」博士課程在学中、これが人生ほぼ順風満帆だった私にとって最大の恐 怖でした。核融合の世界にいた自分にはアカデミアにしか居場所がないと考えていて、そ の分野の就職難の現実に絶望していました。そんな博士2年の冬、ある先輩から「探せば 職はある、でもみんな探さないんだ」という励ましを受けました。また、どうもアカデミ ックポジションだけでやっていくのは嫌だと感じていたので、思い切って企業就職という 選択をしました。
 工学系の場合、修士や学部生の就職は学校や指導教官からの推薦が一般的なのですが、 私の場合はそのような手段が使えないこともあり、おもにインターネット就職支援サイト のリクナビで新卒求人情報を集めて就職活動を行ないました。せっかくの人生を考える機 会ということで、インターンシップに参加したり、面接も、メーカーの研究職だけでなく、 総合商社や金融機関、シンクタンク、コンサルタントなどにも挑戦したりしてみました。 そして、最終的にはやはり研究開発にかかわりたいという気持ちが強く、現在の会社で研 究職に就きました。
 自分の就職活動中においては、博士課程に在籍しているということで年齢や博士は使い にくいといった偏見による不利な扱いを受けることはありませんでした。その経験から 「博士の就職がむずかしい」というのはいったいどういうことなのだろうと考えるように なりました。

●博士を取り巻く特殊事情

 私が思うに、どうやら博士には3種類のタイプが存在しているようです。ひとつは、 「放っておいても自力でポストを手に入れることができるタイプ」、「人柄はよいのだけ れど自分の将来を描けないでいるタイプ」、そして最後が「研究者として以前に人間とし てどうだろうかというタイプ」です。
1番目のタイプの人は問題がないのですが、2番目のタイプの人は、アカデミックポスト という選択肢しか知りませんし、さまざまなうわさから、企業への就職はむずかしいとは じめからあきらめてしまっているようにも感じます。このような考え方の人が博士には非 常に多く、労働市場に博士があまり流れていかないことが、統計上、博士の民間企業への 就職が少なくなっている原因になっているのではないかと考えています。
 そのため、博士が企業に就職するのはむずかしいといううわさを払拭し、とくに2番目 のタイプの人たちに自ら就職活動に乗り出す意欲をもたせることが、博士の就職難の解消 につながるように感じています。
 現在の労働市場は大きく分けて、新卒採用と中途採用の2種類に分かれます。その枠組 みの中で新卒博士・ポスドクの在学中・任期中の仕事をどのように評価するべきなのか、 企業側での評価の基準が定まっていないように感じます。このことも博士が民間企業への 就職をあきらめるひとつの要因になっているように感じます。新卒博士・ポスドクの仕事 をどのように評価するのがよいのかを明確にしていき、博士のための労働市場を形成して いくことも大切であると考えています。

●博士は自力で将来を切り開けるのか

 現在、博士のための労働市場は存在していませんが、新卒採用市場、中途採用市場に目 を向け、それらの市場に自身を適応させることによって、民間企業への就職の道は拓けて きます。次回(2005年1月号、隔月連載)は、新卒採用市場、中途採用市場での就職活動 の仕方について具体的に示し、就職活動を考えている人たちに広い視野での就職活動を呼 びかけていく予定です。

奥井隆雄 (「博士の生き方」運営) 
E-mail:webmaster@@hakasenoikikata.com


12月| 地方教育現場のこれから

■そもそも独立法人化とはなにか

 法人化の狙いは、閉鎖的な研究体制、社会との隔絶など、これまで問題とされてきた大 学の体質を払拭するために、「大学経営」のスタイルを民間企業並みの「開かれた経営体 制」に改革し、より強い自律、自由、独立性を与えることだとされている。  しかし、その実態は旧来の制度と基本的に変わっていない。大学法人は教育・研究・経営 に関して「中期目標」「中期計画」を文部科学省に提出し、それに基づき「評価委員会」 が開かれて、文科相が予算配分や教育・研究・経営計画を指示することになるからだ。  つまり、これまで以上に文科省の介入も予想されるなかで、自由が拡大するとは思えな い。同時に、外部委員を交えた審査では評価されにくい地味な研究、長期にわたる基礎研 究などが敬遠され、学部や地域格差が広がることも懸念されている。

■地方大学の現状

 法人化が施行されたことにより、地方大学は学生の確保に必死である。最近では大学の 個性を前面にアピールした学生募集のポスターも珍しくない。さらには大学院大学を新設 し、学外からの入学者受け入れ枠の拡大を図る。だが、当初の外部生獲得という狙いとは 逆に、同時期に設立された中央の大学院大学に内部生が流出している。やはり、地方大学 は中央の大学に劣っているととらえられた結果なのだろうか。  筆者は決してそうは思っていない。それは、若手研究者の大学選択基準のひとつである 「研究テーマ」に関しては、地方大学は研究室も少なく研究内容の多様性に乏しいが、 個々のテーマには独創性にすぐれたものも多い。また、研究室の学生の進路・就職の責任 を最後までもつ人情豊かなボスが多いのも利点ではないだろうか。しかし、大学の知名度、 研究費の総額に関していえば地方大学の見劣りは否めない。

■文部科学省への提言

 中央と地方との格差を生み出す要因に「国の評価基準」があげられる。国は大学研究者 個人の力を評価するというより、むしろ組織力を評価する傾向が強い。そのため、組織力 に劣る地方大学にネガティブフィードバックがかかるというメカニズムが依然として存在 する。こうした背景が、地方大学の若手研究者を中央の大学へと向かわせ、研究教育現場 の一点集中化を加速させる。  しかし、研究現場の一点集中化は独創的な研究の場を失うことでもある。それよりはむ しろ、競争による研究体制の活性化など法人化を機に得られる利点を生かし、中央と地方 が共存し教育の裾野を広げることが、独創的な研究を生むのに重要なのではないだろうか。 地方大学の秘めた可能性を見極める先見的な評価体制を確立し、資金や環境の整備が行わ れるべきだと考える。

■地方若手研究者へのメッセージ

 いま、各大学では教育・研究・経営を一手に担う有能な学長の存在が必要とされ、これ まで以上に学長のリーダーシップの強化と意思決定の迅速化が進んでいる。また、各大学 において地域との連携強化、社会的ニーズへの接近などの地域独自の改革がなされている。 一方で今後は、若手の多方面における活躍が大学にボトムアップ式の押し上げをもたらす ことが期待される。それには、学業成果は重要な要素ではあるが、若手研究者も大学の創 り手であるという自覚を持つことも重要となる。  そのさきがけとして、若手研究者が大学側に運営方針に関する具体的な意見や考えを提 言できる新しいシステムが大阪大学において、学長と学生の意見交流会という形でスター トしている。これに対し、地方大学では他大学とのネットワークづくりを行いたい。たと えば、将来の地方大学のあり方について近隣大学と意見交換できる場を設けることは、若 手研究者の大学運営に対する意欲を駆り立てる意味でも重要なことだと考えている。  ともあれ、若手研究者おのおのが大学の将来を担う一大学人であることを理解し、大学 発展に取り組んでほしい。 木村元思(鳥取大院医) E-mail:motoshi@@grape.med.tottori-u.ac.jp